経済産業省と東京証券取引所が共同で戦略的なIT投資を推進する企業を選定する「攻めのIT経営銘柄」。2019年は29社が選定された。今年はさらに、デジタルトランスフォーメーション(DX)を重要な要素とみなし、初となる「DXグランプリ」を開催。初代グランプリには、ANAホールディングスが輝いた。経産省は今、老朽化し複雑化した既存システムがDXの足かせとなる「2025年の崖」に警鐘を鳴らし、これを打破するためにはDXを軸とした攻めのIT経営が不可欠だと訴える。攻めのIT経営が広がれば、IT業界の発展にもつながることになるかもしれない。(取材・文/大河原克行)
「攻めのIT経営」が日本の未来を左右する?
「複雑化・老朽化・ブラックボックス化した既存システムが残存した場合、25年までに予想されるIT人材の引退やサポート終了等によるリスクの高まり等に伴う経済損失は、25年以降、最大12兆円/年(現在の約3倍)にのぼる可能性がある」
18年9月に経産省が発表した「DXレポート」。将来的な成長に向けてデジタル技術を活用したDXの重要性を説く一方、長年稼働してきたレガシーなITシステムを使い続けることがDXの足かせとなるとともに、このような多大な経済損失を招くと指摘している。レポートではこれを「2025年の崖」と表現。行政機関のレポートとしては、異例ともいえる危機感を強調した内容だ。
だが、その一方で、日本の企業がDXに積極的に取り組み、2025年の崖を乗り越えた場合には、30年には実質GDPで130兆円超もの押し上げが可能になるとの試算も発表している。つまり、この約6年間におけるITに対する取り組みが、日本の経済力や企業競争力を大きく左右するというわけだ。
攻めのIT経営には
システム刷新・DXが不可欠
こうした中、19年4月23日、都内で経産省および東京証券取引所主催による「攻めのIT経営銘柄2019」「IT経営注目企業2019」が発表され、攻めのIT経営銘柄に選ばれた29社と、IT経営注目企業に選ばれた20社が表彰された。
さらに今回は新たに、攻めのIT経営銘柄の中から、DXを推進する取り組みが高く評価された企業を最優秀企業として「DXグランプリ 2019」に選出。その初代DXグランプリに、ANAホールディングスが輝いた。
選考を行う「攻めのIT経営委員会」の委員長を務めた一橋大学CFO教育研究センター長兼同大学大学院商学研究科特任教授の伊藤邦雄氏は、「ANAは全社イノベーションへの取り組みが本格的であり、画期的であった。その実効性を高く評価した」と講評。空港における簡単、便利でストレスフリーな顧客体験価値の提供や、人と技術の融合、役割分担の見直しによる空港オペレーションの革新的な生産性向上といった成果のほか、米PRIZE財団がANA Avatar XPRIZEを日本企業の中から初めて賞金レースとして採択したことも評価したという。
一橋大学CFO教育研究センター長
および同大学大学院商学研究科特任教授の伊藤邦雄氏
ANAホールディングスの取締役兼全日本空輸社長の平子裕志氏は、「ANAは社会的問題への対応や持続可能な開発目標(SDGs)への貢献という点から、何かできないかという思いでサービスを開発している。オープンイノベーションによるSociety5.0の実現に向けて、令和の元号に込められたように、調和によって実現するDXを通じて超スマート社会の実現に貢献したい」と語った。
この会場で強調されていたのがDXだ。むしろ今年の場合は、攻めのIT経営銘柄の十分条件としてDXが位置付けられていたといっても過言ではない。
DXグランプリの楯を受け取るANAホールディングス取締役兼
全日本空輸社長の平子裕志氏(右)
経産省の磯崎仁彦副大臣は、「今回の攻めのIT経営銘柄の選定に際しては、DX推進ガイドラインに基づき、経営者の強いコミットメントのもと、DXを推進している企業を高く評価した。選定した企業の中には、顧客情報の一元化によって顧客満足度の向上につなげた企業や、多様な働き方に対応した環境整備、デジタル化が進んでいない業務の効率化を推進し生産性を向上させた企業もあった」とする。
攻めのIT経営銘柄においてDXを重視した背景は、2025年の崖と密接な関係がある。経産省の商務情報政策局情報技術利用促進課長の中野剛志氏は、「レガシーシステムの刷新を行わないと、攻めのITには打って出られないというのが実態であり、それを怠れば、何かをやろうとしても足がもつれることになる」と前置きした上で、「IT関連費用の80%は現行システムの維持管理に使われており、これがDXを進める上での大きな課題となっている。短期的な観点でシステム改修を繰り返した結果、長期的に保守・運用費が高騰する『技術的負債』が生まれており、戦略的なIT投資に資金・人材が振り向けられていない。レガシーシステムを刷新した新たなシステムによって、経営が変わり、アイデアが生まれ、どんどん攻めていけるようになる。DXによって、攻めのITが実現できる」と語る。DXによってレガシーシステムを刷新した攻めのITの実現が、2025年の崖を突破するための前提となっているのだ。
「2025年の崖」とは何か
経産省「DXレポート」をひも解く
ここで改めて、2025年の崖とは何か、詳しく見ていこう。
経産省では昨年、有識者による研究会を発足して日本の企業におけるデジタル化の現状と課題について議論し、その成果を18年9月に「DXレポート」として取りまとめた。12月にはDXの障壁となるレガシーシステムの問題を解決するための「DX推進ガイドライン」を策定。このDXレポートの中で2025年の崖が示されている。
レポートでは、多くの経営者が将来の成長や競争力強化のためにデジタル技術を駆使することで、新たなビジネスモデルの創出やビジネスの柔軟な改変ができるDXの必要性は理解しているとした。一方で、既存システムが事業部門ごとに構築されているため、全社横断的なデータ活用ができなかったり、過剰なカスタマイズでシステムが複雑化したり、ブラックボックス化したりしている現状があると指摘。また、経営者がDXを望んでも、データを活用するには既存システムが持つ問題を解決したり、業務自体の見直しが必要となり、さらには現場サイドの抵抗をいかに解決するかといった課題があると述べている。「これらの課題を克服できない場合、DXを実現できないだけでなく、25年以降、最大で年間12兆円の経済損失が生じる可能性がある」としている。
DXを実現できずに、既存システムを放置したまま利用することで、ユーザーは爆発的に増加するデータを活用しきれなくなり、デジタル競争の敗者になると警告。さらに、多くの技術的負債を抱え、業務基盤そのものの維持や継承が困難になるほか、サイバーセキュリティや事故・災害によるシステムトラブルやデータの滅失・流出などのリスクが高まることになるという。
また、ベンダーには、技術的負債の保守・運用にリソースを割かざるを得ず、最先端のデジタル技術を担う人材を確保できないという課題が待ち受ける。レガシーシステムのサポートに伴う人月商売の受託型業務から脱却できない状況にとどまり、クラウドベースのサービスの開発や提供に遅れ、世界の主戦場を攻めあぐねる状態になるとしている。
レポートによると、現在、日本の企業の86.5%がレガシーシステムを抱えており、システムの保守・運用に貴重なIT人材が割かれているという。そして、67.2%の企業が、レガシーシステムがDXの足かせになっていると回答。レガシーシステムは保守、運用が属人的となり、継承が困難であると考える企業は66.8%と、3分の2に達している状況が浮き彫りとなっている。レガシーシステムの継続的な利用に対しては強い危機感を持ちながらも、そこから脱却することにはまだ踏み出せていない実態がみえる。
「30年前のシステムを維持するために膨大な費用をかけ、その費用が年を追うごとに膨れ上がる。対応できる人材も減少する。これを技術的負債として捉えるべきだ。技術的負債とは、短期的な観点でシステムを開発し、結果として、長期的に保守費や運用費が高騰している状態を指す。企業はITシステムの負債を返し、もっと身軽になる必要がある」と一橋大学の伊藤氏は話す。
また、ここで重要なのは「崖」という表現を用いていることだ。伊藤氏は「崖というのはいきなりやってくる。今は大丈夫だと思っていても、駄目だという状態に一気に陥る」とその意味を解説し、「古いシステムを使っている企業ほど私たちは大丈夫だという。経営者は今の時点でそれに気がつかなくてはならない」と警鐘を鳴らしている。
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