中小のソフト開発企業が生き残るために──。ソフト開発企業のビジネス支援を手がける業界団体として、日本情報技術取引所(JIET)がその存在感を高めている。中小のソフト開発企業が生き残るための支援活動に力を注ぎ、会員数は昨年1000社を突破した。ソフトハウスの経営にも携わる二上秀昭理事長が考えるソフト開発企業の生き残り施策とは?また、JIETが果たす役割とは?
受注の多重構造回避と開発単価アップ ビジネス拡大に利用してもらう
──日本情報技術取引所(JIET)の会員企業が昨年、1000社を突破しました。中小のソフト開発会社を中心に、会員企業は右肩上がりで伸びています。JIET設立の背景と狙いは何ですか。
二上 1992年にバブルが崩壊し、94年から95年にかけてソフト開発案件は激減し、単価も大幅に下落しました。ソフト開発企業を巡る環境は、一気に厳しさを増したわけです。私も、その当時からソフト開発会社を経営する立場に身を置いていますから、その苦しい状況を肌で感じました。倒産したソフトハウスを何社も見ましたし、私が経営する会社も赤字状態が止まらず社員数も減り、先が見えない状況でした。
中小のソフト開発企業が生き残るには、どうすれば良いかを考えた時、“情報”がいかに大切かを実感しました。中小企業は大手に比べて情報が極めて少ない。「どこにビジネスチャンスがあるのか、顧客のニーズは何か」など、案件を勝ち取るための情報を得る手段が少なすぎることを痛感したのです。
そこで、営業力がない中小企業でも開発案件を容易に見つけられ、ビジネス拡大に結びつけられるような仕組みがあれば、中小のソフト開発企業でもビジネスを継続・拡大できると思い、96年4月、日本情報技術提携振興会(現JIET)を設立したわけです。
──具体的にどのような仕組みで、中小のソフトハウスのビジネスを支援していますか。
二上 現在のソフト産業は、大手ITベンダーが受注した開発案件を、何階層にも渡るソフト開発会社に流し、実際にソフトを開発する企業が最も利益が薄い状況にあります。ソフト開発会社の企業規模が小さければ小さいほど、その階層の下に位置付けられることが多いわけですから、これらソフトハウスは利益が最も薄くなります。営業力がない中小のソフトハウスは、この下請け構造に頼らざるを得ない。情報不足という課題とともに、中小のソフトハウスにとっては、この多重構造が悩みの種になっています。
JIETの役目は、この何階層にも渡る受発注構造を回避し、中小のソフトハウスが手がける開発案件の単価を上げるとともに、開発案件情報を提供することでビジネスチャンスを増やすことです。
JIETは開発案件を集め、ソフト開発案件の受発注取引所として、会員企業に開発案件情報や技術者情報など、ソフトハウスに有益なさまざまな情報を発信しています。JIETを介し会員企業のソフトハウスが受注することで、従来の何階層にも渡る受発注構造を回避でき、受注単価が上がるわけです。また、全国各地でソフト開発会社間やエンドユーザーとの営業商談会を開催しており、ビジネス拡大のためのきっかけとして利用してもらっています。商談会は、東京、神奈川、名古屋、大阪、九州で毎月1回、東北、北海道では2か月に1回のペースで開催しており、年に計70─80回は開いています。
さらに、JIETのウェブサイトでは、00年から案件情報や技術者情報を公開するシステムを設け、インターネット上でも情報を提供しています。昨年にシステムを増強し、今は案件情報と技術者情報だけでなく、イベント案内や人材募集、会員企業のパッケージソフト情報なども加え、さらに充実させました。今では、登録されている開発案件情報は2300件以上です。開発案件の情報提供サイトとしては、日本でも最大規模と自負しています。
47都道府県ごとに支部を設立 会員企業3000社が目標
──今後の活動計画は。
二上 現在、東京、神奈川、千葉の関東圏のほか、愛知県、大阪府、福岡県、宮城県、北海道と、全国8か所に支部を設置しています。地域のソフト開発会社と密着した組織体制でJIETを運営していく考えでおり、今後は47都道府県ごとに1支部を設立し、全国を網羅する組織体制を築くことで、会員企業を増やし案件情報を充実させていきます。
2010年までに47支部体制の確立を予定していますが、まずは埼玉県、静岡県、岐阜県、京都府、兵庫県に支部を設立する計画です。47支部体制を築く2010年までに、会員企業を現在の3倍にあたる3000社まで到達させたいですね。
また、JIETはこれまで任意団体として活動してきましたが、今年5─6月にはNPO(特定非営利活動法人)として新たにスタートを切る予定で、現在理事会で審議している最中です。
──将来的には世界にも支部を設け、海外市場での開発案件も網羅する方針を打ち出していますね。
二上 日本のソフト会社は世界で活躍しているとは言えません。まずは国内体制を固めることが先決ですが、日本のソフト会社が世界でも活躍できる土壌を少しでも作って行きたいと考えています。しかし、ソフト会社が1社で世界に打って出るのは容易なことではなく、業界団体が世界に拠点を設立して、ある程度サポートする必要性を感じています。
JIETには、日本のソフト開発会社だけでなく、海外のソフト開発会社も会員になっています。中国のソフト開発会社は約20社ほどいますし、インドの会社も3社ほど加入しています。ですが、今は海外企業に日本の開発案件を提供している状況です。
今後は、海外の仕事を日本のソフト開発会社が請け負う仕組みを作りたいと考えており、海外にも支部を設立する方針です。具体的には、英国、フランス、米国、イタリア、中国、インド、韓国にそれぞれ支部を設けたいと思っていますが、まずは英ロンドンに支部を設けたいと考えています。英国に拠点を持つ日系企業のソフト開発案件をJIETの会員会社に流すことから始めていくつもりです。
そして将来的には、「日本情報技術取引所」ではなく、「国際情報技術取引所」と呼ばれるよう、グローバルなフィールドで活躍できる存在にまで成長させていきたいですね。JIETが行っている施策や仕組みは、世界的にみても例がありませんから。
──開発コストの削減を目的に、中国やインドにソフト開発を発注する日本企業も増えています。日本のソフト開発会社にとって、オフショア開発は脅威になりつつありますが。
二上 中国やインドの開発者のスキルレベルは高く、また毎年輩出する開発者の数も日本とは比べものにならないほど多いですから、今後もオフショア開発を活用するITベンダーは増えるでしょう。
ですが、ソフト開発を進めるうえで最も重要なのは、仕様書をしっかりと詰め、そしてユーザーの業務ノウハウを熟知していることです。
日本の仕様書を理解し、計画通りに開発を進めることは容易なことではなく、海外のソフト開発会社が、日本の顧客の業務ノウハウを熟知することはほぼ無理でしょう。また、ブリッジSE(システムエンジニア)など一部の海外開発者は、日本の技術者よりも報酬が高額なケースもあり、コストメリットが出ない場合もあります。インドや中国のソフト開発会社は確かに脅威ですが、ソフト開発の上流工程が海外に流れることはなく、開発のコア部分は日本のソフト開発会社が請け負う体制は変わらないでしょう。ただ、日本の技術者は単純な開発だけではなく、上流工程のコンサルティングや仕様書作成のスキルがさらに求められることになります。
眼光紙背 ~取材を終えて~
終始、明るい表情でインタビューに応じてくれた二上理事長。だが、ソフト開発市場が1990年代前半のバブル崩壊後に迎えた厳しい環境に話題が移ると、その当時の苦しさを切々と語り始めた。
「朝は1本も電話はかかってこないし、社員も次々に辞めていく。月を重ねるごとに赤字幅は拡大し、本当に苦しかった」。ソフト開発会社の経営に携わっているからこそ、発する言葉に重みを感じる。
「大手でも中小でも規模を問わず、ソフト開発事業で生き残るためには、市場やニーズの変化を把握し自らを順応させること。そのためには、有益な情報をいかにキャッチするかが重要」と話す。
「JIETはソフト産業の“ノアの箱舟”」と、中小ソフト開発会社が生き残るための情報提供やビジネス支援を手がける団体として、その存在感を高めている。(鈎)
プロフィール
二上 秀昭
(ふたがみ ひであき)1950年12月生まれ、富山県出身。78年、富山県新湊高等学校卒業。同年、鉄鋼関連会社に入社。85年、ソフト開発会社の日本ブレーンを設立。96年、日本情報技術取引所(JIET)の前身にあたる日本情報技術提携振興会を設立し、理事長に就任。日本ブレーンの代表取締役会長も兼務している。
会社紹介
日本情報技術取引所(JIET)は、1996年4月に「日本情報技術提携振興会」として発足。98年、「日本情報技術取引所」に名称変更した。
中小ソフト開発企業のビジネス支援を主な活動内容とし、開発案件や技術者情報などの提供のほか、ソフト開発事業の商談会を全国で開催している。00年からはインターネット上でも案件情報の閲覧や受発注を行えるよう、ウェブによる「JIET情報システム」を稼動させている。
各地方に密着した組織体制を掲げ、現在は東京のほか、北海道や九州、大阪など合計8か所に支部を設置。将来的には47都道府県それぞれに支部を設立する計画だ。
会員企業数は、昨年1000社を突破し、現在1054社(05年1月11日時点)。中長期的には、2010年に日本全国のソフト開発企業の約4分の1にあたる3000社の会員企業獲得を目標に掲げている。