野村総合研究所(NRI)は、2008年を“第三の創業”と位置づける。旧野村コンピュータシステムと合併して20年。総研とITを融合させ、独自の高収益モデルを築いてきた。このフェーズがNRIにとっての第二の創業期だった。だが、弊害も出始めている。「このままではまずい」──藤沼彰久社長は強い危機感をもって第三の創業期をスタートさせる。SIerトップグループに位置するNRIはどんな変革を巻き起こそうというのか。
金融のIT投資、そろそろ一段落 業種展開の取り組みを本格化へ
──なぜ今、「第三の創業」なのですか。SIerトップグループのなかで、強固な収益モデルを構築してきたわけですが、そこに何か構造的な問題があると。
藤沼 確かに今年度中間期(2007年4-9月)連結営業利益率は16.6%と高水準でした。ベストシナリオで推移した結果だと考えています。ただ、いつまでもベストで行くなどとは楽観視していない。今の実力での巡航速度は営業利益率12-13%程度。最高速度のままでは何かと弊害がでてくるものです。
このままではまずい。方向性を変えるという意味で「第三の創業」を掲げました。旧野村総合研究所と旧野村コンピュータシステムが合併してから20年の節目でもある。合併が第二の創業とするならば、今年は第三の創業という意気込みで変革に取り組まなければならない。
──どのあたりが課題なのでしょうか。
藤沼 ひとつは売上高構成比に占める金融業の比率が高まっていることです。この結果として特定顧客の比率も大きい。直近の中間期では金融業向けの売上高比率が7割近くを占め、顧客別でも野村ホールディングスやセブン&アイ・ホールディングスの2大グループで同約4割を占める。金融関連の比率は5割程度が適正だと思っていたのですが、ここ数年来、金融のIT需要が旺盛で、結果的に依存度が大きいまま推移してしまった。
金融はルールや規制が厳しい業界で、IT投資も横並びになることが多い。金融システムからくる好景気はすでに5年ほど経っており、そろそろ一段落する可能性がある。それが09年なのか、10年なのかは分かりませんが、今の勢いがそうそう続くものではない。
過去に金融の追い風が弱まって減収減益になったことがあります。02年度でした。あまり金融の比率が高すぎると、またあのときのように慌てふためくことになる。“金融一本足打法”を改めて、業種ポートフォリオを変えていく必要があります。
──具体的にはどういう手を打っていくつもりですか。
藤沼 ひとつは通信や公共など自力で業種展開します。得意とするミッションクリティカルな業務や可用性の高いシステムづくりの力量をさらに伸ばしていくことで、他業種へ食い込む。昨年度(07年3月期)までは目の前の仕事をこなすだけで精一杯だった側面がありましたが、今年度は中長期の事業展開を見据えたソフトウェア投資や研究開発、人材育成などの優先順位を意識的に高めています。
また、ターゲットとする業種に強いSIerや顧客企業の情報システム部門や子会社のM&A(企業の合併・買収)も視野に入れています。M&Aについては“やる”と言っていながら、ほとんどできていないのが現状です。ソフト開発は人材が命ですので、M&Aは必ず友好的でなければなりません。M&A先の経営者、スタッフの方に納得してもらうことが重要であり、難しいところです。ですが、そろそろ本格化しなければならない。
──最大手のNTTデータは海外でのM&Aを活発化させています。日本のSI業界もいよいよグローバル化に突入した印象があります。
藤沼 NTTデータさんはグローバル展開している製造業の顧客が多いので、全世界にネットワークをつくる必要があるのでしょう。そういう意味では当社はまだまだです。大口顧客がすでに中国や北米に進出していますので、現地に拠点をつくり、運用や保守サービスを手がけている段階にすぎません。これからはこうした日系顧客のサポートだけにとどまらず、中国の国内マーケットの開拓に取り組む必要があります。今年は“中国ビジネス元年”と位置づけ、5-10年の長期スパンでビジネスを構築していく考えです。
海外オフショア開発については中国で約3500人の開発体制を築いてきました。ここ数年、右肩上がりで拡大しています。
ガラパゴス症候群は絶滅の危機 海外市場を視野に競争力高める
──国内の情報サービス産業をどう見ておられますか。グローバル化が進むと国際的な競争力を持たないSIerにとってより厳しい状況になるという指摘もあります。
藤沼 業界内の取引を除いた国内情報サービスの市場規模は真水で約10兆円だとみています。ただ、その中身はまだ“ぬるま湯”です。
たとえば金融業界は日本独自のルールや商慣習などがあって、海外からの参入障壁はとても大きい。世界の金融機関向けの業務パッケージソフトは台湾やシンガポールではちゃんと動作するのに、国内では機能しない。日本でも大丈夫だろうと思ってもってきても、だいたいひどい目に遭う。生保も証券も同じようなものです。
絶海の孤島で独自の進化を遂げたガラパゴス諸島の動植物になぞらえて“ガラパゴス症候群”といわれる由縁です。強い肉食獣がいなかったので大きくても、のろくても生きていける。この中で安住してしまうとまずい。当社の連結売上高の今期(08年3月期)見通しが3550億円程度なので、国内の市場規模を考えるとまだ伸びる余地は大きい。ただ、一方でガラパゴスの動植物のようになってしまうと、長い目でみたら安穏とはしていられない。
──今は需要が供給を上回るくらいのIT投資ですが、陰りが見えてくるとSIerの選別が一気に進むように思います。
藤沼 顧客企業がどのSIerをITパートナーとして選ぶかという峻別が進み、同時に元請けのSIerによる協力会社の選別も進む。当社では力のある10社ほどを「eパートナー」と位置づけ、結びつきを強めています。このなかには中国のSIerも含まれています。
最近、社内で「09年あたりに国内IT投資が失速し、もしパートナー企業を減らすことになったらどうする」という議論をしたことがあります。まずeパートナーではなく、スポット的な契約をしているケースは減らさざる得ません。さらに減らさざる得なくなったときに「中国のSIerのなかで有力なところは残すべき」という意見がありました。
──中国市場を開拓するうえで、戦略的に重要だということですか。
藤沼 現に年間3500人分の仕事は中国に出しているわけで、国内情報サービス産業からみればそれだけの仕事が海外に出ているということです。この流れはこれからも拡大するでしょう。当社の姿勢も大きく変わりました。パートナーにできるだけ多くのノウハウを提供し、いっしょに育ってもらえるよう心がけています。国内と同様、中国のパートナーも育ってもらえるよう関係を築いていく方針です。
──今後の中期経営計画の見通しを教えてください。
藤沼 トップラインを年率平均7%ずつ高めます。人員は同5%ずつ増やす。2015年には年商6000億円、営業利益率12-13%をイメージしています。業種展開やグローバルでの競争力強化、M&A・グループ展開など、やらなければならないことはまだたくさんありますが、第三の創業という心構えで取り組んでいきます。
My favorite ハンドメイドの万年筆。オープンシステム関連の団体「OSPG(基盤技術委員会)」の幹事役を長らく務めていた。社長になったときに、同団体の有志メンバーから贈られた品で、愛用している
眼光紙背 ~取材を終えて~
今年度(2008年3月期)連結売上高は前年度比10.1%増の3550億円、営業利益は同25.3%増の550億円と大幅な増収増益を見込む。達成すれば売上高で1200億円近く、営業利益で240億円余りを、社長に就いてわずか6年で上乗せすることになる。
08年度までの中期経営計画「ビジョン2008」で示した数値目標は、「昨年度の段階で早々に達成してしまった」。ここまで業績を伸ばしてきた藤沼社長は、さぞかし辣腕で、ぐいぐいと社員をリードしていく鬼軍曹タイプかと思ったが、実際はずいぶんと違う。
好況でも浮かれず、おごらず、ただひたすら品質を高めようとする物静かな経営者だ。技術畑の出身で、品質にはとりわけ厳しい。
結果として手戻りを減らし、「収益力が大幅に高まった」という。社内では「一隅をよく照らす細かい気配りに長けている」と評価される。地味で陽が当たらないような仕事でもきちんと評価し、モチベーションを高めることを怠らない。
金融業界などのIT投資の先行きに不透明感が増す。「第三の創業」の言葉どおり、NRIの持てる力を発揮するのは、まさにこれからである。(寶)
プロフィール
藤沼 彰久
(ふじぬま あきひさ)1950年、東京生まれ。74年、東京工業大学大学院制御工学科修士課程修了。同年、野村コンピュータシステム(現野村総合研究所)入社。グループ会社の野村證券のシステム構築に18年間携わる。94年、取締役情報技術本部副本部長兼先端システム技術部長。99年、常務取締役情報技術本部長兼システムコンサルティング部担当。オープン化、ダウンサイジング化を推進。01年、専務取締役証券・保険ソリューション部門長。02年4月、社長に就任。現在に至る。