NECの社長退任から約5年、西垣浩司氏は4月1日、情報処理推進機構(IPA)の理事長に就いた。NEC時代、数々の構造改革を断行した辣腕経営者は「日本のソフト産業活性化に貢献したい」と再び表舞台に戻ってきた。今年度から始まった5か年中期計画の陣頭指揮をとる。計画の内容を語りながら、IT人材育成と国際競争力については明快な口調で持論を展開した。
ソフト産業発展の手伝いを 豊富な経験生かし陣頭指揮
──NECの社長を退いて約5年、今年4月1日に情報処理推進機構(IPA)の理事長に就きました。何が西垣さんを動かし、就任を決めたのですか。
西垣 私は1999年から03年までNECの社長を務め、その後は副会長、04年からは特別顧問としてNECの経営にアドバイスする立場でした。副会長時代に少し体調を崩しましたが、特別顧問の時はだいぶ良くなり、ソフトウェアとサービス産業に関して興味があったものですから、その分野の勉強のために海外を視察したり、国内の有識者に話を聞いたりと、勢力的に動いていたんです。
今回の話は、矢野(薫・NEC社長)から「経済産業省からIT産業界での実務経験が豊富な人を理事長にしたいという要望がきて、西垣さんにぜひお願いしたい」という話をもらったことがきっかけなんです。岡田(秀一・経済産業省商務情報政策局長)さんとも話して、私の経験が役に立つのではないかと感じ、やらせてもらおうと。NEC時代にはあまりできなかった、業界全体が発展するためのお手伝いをしたいという思いがありました。
ただ、正直に言うとだいぶ悩みましたよ。というのも、特別顧問の生活は快適でしたからね(笑)。時間を自由に使えるし、やりたいことに集中できる環境ですし。
──というと、IPAの理事長職は相当の激務?
西垣 特別顧問と比べれば確実にハード。団体の理事長というのは、わりと優雅なイメージを持っていたんですけど、実際やってみるとかなり忙しい。ただ、やりたいことが山ほどありますから、体と相談して取り組んでいこうと。
──IPAは今年度(08年度)から第二期中期計画をスタートさせました。そこで定めた4つの重点施策はどれも重要で、しかも一筋縄ではいかない。確かに、就任直後とはいえ優雅に暮らせる状況ではありません。
西垣 04年の独立行政法人化から4年半の間、この期間でIPAは大きな体質転換を遂げました。それまでの個別ソフトや企業を支援するような取り組みからシフトして、大きな枠組み、広い視点でソフト産業の発展に貢献するための方針と施策を用意し、体制を整備した。前理事長とスタッフは本当に素晴らしい仕事をしてくれたと心の底からそう思っています。
第二期計画では、第一期で定めた明確な方向を、さらに強く深く推進するのが基本。「情報セキュリティ対策の強化」と「ソフトウェアエンジニアリングの推進」、「IT人材育成」、「開放的(オープン)な技術普及」の4つを柱にして日本のソフト産業を盛り上げます。
──IT人材の質・量の確保は慢性的な課題。IPAは国家試験の「情報処理技術者試験」の実施や「ITスキル標準(ITSS)」の立案・改正などを手がけていますが、課題解決には至っていません。これまでにない抜本的な取り組みが求められています。
西垣 まずは底辺を広げないといけない。
それは単に「ITベンダーの技術者数を増やせばいい」というものではありません。これからはユーザーも対象です。すべての社会人に最低限のITスキルを身に付けて欲しい。国全体のITスキルが上がれば、新しい要望が生まれ、それが新しいITの使い方や生産性向上に結びつく。そうすることで、産業自体が活性化するはずです。
私は、ITスキルを「読み・書き・そろばん」と同じような必須能力にしたいんです。
──そのためにIPAが用意したのは?
西垣 1つの例として、来年度から新たに始める「ITパスポート試験」は、まさにそのための制度です。ユーザーもベンダーも関係なく、誰もが共通に備えるべき情報技術の基礎知識を測る試験で、極端に言えば、介護サービスを提供している人でも、農家でも取って欲しい資格です。これは日本全体のITスキル向上に大きく寄与すると期待しており、「みんなでPRしよう!」と意気込んでいます。将来的には文部科学省と連携し、教育カリキュラムに組み込んでもらえるような働きかけも進めていくつもりです。
世界で戦える唯一の希望「組み込み」の推進に注力
──底辺の拡大は大事ですが、その一方で高度な技術力を有する人材育成も重要なのでは? 日本のソフト産業が世界で戦える環境をつくるのはIPAの役目でもあると思います。そのための施策も必要な印象を受けますが。
西垣 尖がった(優秀な)技術者の育成は確かに大事で、IPAでも「未踏ソフトウェア創造事業」などでサポートしています。ただ、尖がった人がいないから、日本からマイクロソフトやグーグルのような世界的IT会社が生まれないのでしょうか。私はそうは思わない。
尖がった技術を持っていても成功するとは限らない。99%は討死でしょう。マイクロソフトのビル・ゲイツ氏は技術的に尖がったものは何もなかったけど、ビジネスセンスが長けていたからここまで成長したわけですよね。
尖がった技術を持つ個人を育成することと、素晴らしい存在のソフト会社をつくることは必ずしもリンクしない。だからそれぞれの支援策を考えないといけない。私はNEC時代さんざんそんなことを考えてきて、上手くいかなかった経験がありますから、良く分かるんです。
──人材育成だけではなく、ビジネスの仕掛けと尖がった技術力をマッチさせる仕組みが重要だ、と。
西垣 しかしそれだけでは世界で存在感を示せないでしょう。というよりも、ビジネスアプリケーションの分野では、日本のソフト産業が世界に通用する可能性はほぼない。絶望的だと思います。
──絶望的とは辛らつな。何が問題だと分析していますか。
西垣 根本的な問題ですが、まず英語力の乏しさが致命的な欠陥です。米国主導で動いているビジネスアプリケーションの分野で、英語が話せないのはかなり痛い。単純ですが大きな要素です。それとベンチャーが育ちにくい、日本独特の複雑な産業構造も阻害要因でしょう。
──日本のソフト産業は、国内市場でしかビジネス展開できない、と。
西垣 ビジネスアプリは残念ながら相当厳しい。ただ、日本が世界へ挑める唯一の希望の光といっても過言ではないのが、組み込みソフトです。この分野は日本が主導権を握れる可能性が十分にある。
先日、組み込みソフトのイベントに足を運んだんですが、非常に活気がある。ベンチャー企業も多く、かつてのIT産業勃興期のような熱気を感じました。IPA内のソフトウェアエンジニアリングセンター(SEC)では、組み込みソフトのテスト基準や開発手法の作成といった重要な業務を手がけています。今のところ非常に強い立場で物事を進められるので、産官学共同で大いに推進していきたいと思っています。世界で戦える分野として組み込みソフトを位置づけ、さまざまな策を講じるつもりです。
My favorite 酒を飲む際に愛用するグラス。酒は「ほぼ毎日欠かさず飲む」ほど好きで、ビールや焼酎、ワインなど種類を問わず愛飲する。とくに好んでいるのは芋焼酎で、お気に入りの切り子ガラスに注いで楽しむ
眼光紙背 ~取材を終えて~
「理事長としてではなく、西垣さん個人として今業界でやりたいことは?」。インタビューの最後に聞いた。「国際競争力の強化です」。こう答えている。
日本のビジネスアプリケーションについてかなり厳しい発言も出たが、その裏には世界で活躍できる日の到来を願っているとも感じられた。
本文に記した以外に、西垣理事長がひどく懸念している問題点がもう1つある。産業構造の問題だ。「日本のベンダーは業界を正確に把握・区分けできていないため、何で勝負するのかが分からない。ファンダメンタルソフトでもハードでも、アプリ、SIでも何でもしたがる。それでは海外で勝てない」。
欧米企業はまず「どこで勝負するか」をしっかりと定め、そこにリソースを徹底集中する。ビジネスにはコンセプト作りと「選択と集中」が欠かせないのだ。そのための意識改革は「きっと自分にしかできない」と鋭い眼光で強調していた。(鈎)
プロフィール
西垣 浩司
(にしがき こうじ)1938年6月22日生まれ。61年3月、東京大学経済学部卒業。同年4月、NEC入社。79年、情報処理製造・装置システム事業部製造業第一営業部長。83年、情報処理金融システム事業部長。88年、理事。89年、支配人。90年、取締役支配人。92年、常務取締役。94年、専務取締役。99年、代表取締役社長。03年、代表取締役副会長。04年、特別顧問。08年4月1日、情報処理推進機構(IPA)理事長に就任。
会社紹介
情報処理推進機構(IPA)は経済産業省の外郭団体で、2004年1月に独立行政法人化した。推進する事業内容の柱は、(1)情報セキュリティ対策(2)ソフトウェアエンジニアリング強化(3)IT人材育成(4)オープンソースソフトウェア(OSS)などオープン技術の普及促進の4つ。今年度(09年3月期)から5か年の第二次中期計画をスタートさせた。