専用機の周辺をアウトソーシング
──クラウドコンピューティングが普及したことによって、御社も大きな変化を余儀なくされていますね。
川崎 その変化のなかで、「ソリューション&サービス事業本部」は、かなり重要な役割を果たすべき組織と位置づけています。事業本部内だけのシステムインテグレーション(SI)をする人たちが寄り合って思考するのではなく、もっと横串で考えるようにしたい。例えば、当社の得意分野である金融機関向けに提供している専用機や専用システムを、銀行などだけに提供することに固執してきたきらいがあります。例を挙げると、銀行向けの為替処理システムなどは、噛み砕くとイメージ処理やファイリングのシステムです。銀行に限らず他に応用することができる。
──御社で言うところの「ソリューション&サービス」の事業は、この先5年後にどうなっているのでしょうか。
川崎 この事業は、一つの軸として伸ばします。もう一つ、ここで安定した収益を得て、業績を平準化し、山と谷をなくしたい。本業に専心して、システムはアウトソーシングするという顧客側の流れがあるので、市場の掘り起こしでビジネスチャンスをつかむ。10年11月にはクラウド・サービス「EXaaS」を発表しました。これは導入支援コンサル/開発/調達・構築/運用サポートまでカバーした、トータルなITライフサイクルマネジメント(LCM)を担う。当社は特定の顧客に特化しようとしています。
──サービスを高めるということは「ストック・ビジネス」の比率を高め、粗利を稼ぐということですね。
川崎 一気にとはいきませんが、ソリューション&サービスの売上高に占める比率を、将来的に4割には高めたい。今は、モノ売りの部分が多いのが実際のところです。しかし、サービスに向かう体制がおおむねできてきました。例えば、当社の「成長プログラム」の柱である「プリンタ」領域では、プリンタ機器をアウトソーシング提供する「マネージド・プリント・サービス(MPS)」を一部で開始し、これを拡充していきます。
──「成長プログラム」には、「プリンタ」のほかに「EMS(電子機器の受託生産)」と「メカトロ」があります。こちらの二つの事業は、どう展開しますか。
川崎 メカトロはATMが主ですが、国内は18万台で成熟しています。ここは入れ替えのなかでシェアを維持・拡充します。当社が得意とする現金回りの業務に関する市場を含めて伸ばす。グローバルでは中国市場を主体にして伸び続けており、国内の出荷台数を抜きました。
EMSに関しては、冒頭で「当社は、メーカーです」と答えた理由がここにあります。EMSは台湾をはじめ海外へ移行していますが、日本でつくらなければいけないモノがあるということを感じています。通信機器の工場だった埼玉県本庄市の工場の高度なスキルを利用し、半導体の検査設備装置や精密機器を通り越して電子機器になっている医療機器、プリント基盤など、信頼性を求められる部分で需要があります。企画をいただければ、設計、部材調達をはじめ、生産までできますし、「ジャスト・イン・タイム」で納品できますよ。
・こだわりの鞄 川崎秀一社長は、何度も買い替えをしているが、このBURBERRYのダレスバックを愛用している。上部が大きく開口し、構造上、床に置いても安定していて収容力が大きい。「遠方への日帰りや1泊程度の出張時に書類や着替えなどを入れるのに使い勝手のいい鞄」とお気に入りの理由を語る。
眼光紙背 ~取材を終えて~
創業130年を迎えた沖電気工業。わが国初の通信機器メーカーとして、日本の代表格企業として君臨してきた。しかし、近年は業績の山谷を経て、事業の選択と集中を進め現在の事業体へ変容してきた。
この企業のトップへの取材に際し、聞きたかったのは「メーカーでい続けるのか」ということ。クラウドコンピューティングが普及し、メーカーとして製品を売るだけの事業体であり続けることの難しさを感じていたからだ。川崎秀一社長の答えは「メーカーであり続ける」ということだ。
重要インフラの製品を世に出す同社は、いまでいう「スマートグリッド」で有利な立ち位置にいるはず。川崎社長は「雲から垂れている糸に注目する」と表現する。糸の先に通信端末やサーバーなどが存在し、その周辺をすべてアウトソーシングで請け負う。落語が好きな川崎社長だけあって、話しっぷりは明快で理路整然としている。もう少し時間をもらって、さらにブレイクダウンした議論をしたい。(吾)
プロフィール
川崎 秀一
(かわさき ひでいち) 1947年1月、東京生まれ、64歳。70年3月、早稲田大学法学部を卒業後、沖電気工業に入社。入社以来、金融部門の営業畑を歩み、90年11月に金融システム営業本部営業第三部長、99年4月にNTT営業部長を歴任。2000年4月にネットワークシステムカンパニーのバイスプレジデントを務め、01年4月に執行役員。05年6月に常務取締役に就いた後、09年4月から現職。
会社紹介
1881年、日本最初の通信機器メーカーとして沖牙太郎氏が創業(創業当時は「明工舎」)。1889年に沖電機工業に改称。1896年には国産初の直列複式交換機を日本電信電話公社に納品。現在の「沖電気工業」は1912年に設立。51年に東京証券取引所に上場。製品としては、82年に世界初の紙幣環流機能付きATMを、90年にLED(発光ダイオード)を光源に用いたページプリンタを発売。10年3月期の業績は、売上高4439億円、営業利益139億円。