樋口泰行氏がマイクロソフトの日本法人トップに就任したのは、2008年4月。このときすでに、国内のIT産業の停滞は顕著で、半年後にはリーマン・ショックが起こる。それでも日本マイクロソフトは、2011年度、2012年度と連続して、主要先進5か国で最も高い業績を上げた。45歳の若さで日本ヒューレット・パッカードの社長に抜擢された経歴をもち、法人向けITビジネスに精通した同氏の改革が、日本マイクロソフトを変えたのだ。そして今、時代はクラウドへ。「サービス&デバイス」を掲げ、新たなビジネスモデルへの転換を図るマイクロソフトが、日本市場で何をなそうとしているのか。樋口氏の視線の先を追った。

‘組織改革をしないで短期の成果を追い求めても、長期的にはリスクが大きくなります。’社長に就任した時、社内の組織はバラバラだった
──樋口さんが日本マイクロソフトの社長に就任されてから、はや5年半が経ちました。IT産業をずっと取材してきた立場から申し上げると、一番大変な時期に重責を引き受けられたという印象です。一方で、日本マイクロソフトは、グローバルでみても好業績を維持しておられる。どんな課題意識をもち、経営にあたってこられたのか、あらためてお聞かせください。 樋口 マイクロソフトのビジネスは、コンシューマビジネスよりも法人ビジネスのほうが大きなポジションを占めています。ご存じの通り、もともと、WindowsやOffice製品をPCにインストールしてもらうOEMビジネスで成長してきた会社ですからね。それが近年、サーバーOSやデータベースから、システム管理、セキュリティ、仮想化などのソリューション、さらにはCRMやERPなどの業務アプリケーションまで、法人向けのITシステム全般を提供する会社になった。それに付随して、サービスまでビジネス領域を広げてきたという進化の歴史があります。
こうしたビジネスでは、顧客の経営課題に踏み込んだソリューションを展開することが重要であり、そのためには当然、エンタープライズ系のソリューションパートナーときちんと対峙できる会社にならなければならない。私がマイクロソフトに入社した当時、そのための組織・体制づくりという点で、ほかの国の現地法人に後れを取っていたのは事実です。
──具体的には、何が欠けていたのでしょうか。 樋口 マイクロソフトに入社した後、日本HP時代の人脈などを活用して、パートナーやエンドユーザー300社のトップに直接電話でコンタクトを取りました。そのときに指摘されたのが、「マイクロソフトは顔が見えない」ということでした。これは、物理的な接点が不足していたことに加え、コミュニケーションの現場で、製品の話はできても、お客様の悩みまで踏み込んだ話ができていなかったということです。
もう一つの課題は、社内の組織がバラバラに動いていたことです。各部署のリーダーが、他部署のことはどうでもいいと考え出すと、部下も同じようなマインドをもつようになります。これでは、一つの戦略を会社全体で推し進めることはできません。
──そこでどんな施策を打たれたのですか。 樋口 構成員をそのままにして会社を変えるのは限界がある。まずは、法人ビジネスの基本動作ができている人材を招き入れ、変えなければならない部門に正しい人を配置するようにしました。改革は「急がば回れ」で、結局は「人」が成否を決めるのです。
[次のページ]