今は赤字だが、利益はいつでも出せる
──人を使って二重チェックするとなれば、人件費の安い海外にアウトソーシングしても、相当のコストがかかるはず。しかも、「Eight」は無料サービス。寺田さんは、この例以外にも、利益を度外視してサービス品質の向上に努めておられる印象があります。ユーザーの数も売上高も右肩上がりで成長していますが、利益を出すことはできているのでしょうか。 寺田 赤字です。ただ、利益を出そうと思えば出せないこともありません。今は、利益を出すことよりも、品質を上げたり組織を強くしたり、たくさんの人にSansanを知ってもらうためにPRしたりすることを優先する時期と捉えています。要は投資のタイミングです。名刺データの二重チェックは、他社に真似されては困る効率的な方法を編み出して、全スタッフに徹底していますし、国内外におつき合いの深い協力会社がいますので、外部の方々が抱くイメージよりも安く、作業負担も少なくて済んでいます。
──株主の構成は複数の投資会社です。株式の上場を目指しておられますか。 寺田 もう少し先の将来には、上場を実現するつもりです。
──他のクラウドベンチャーは、ある程度のユーザーを獲得すると、クロスセルによる一社あたりの売り上げアップを狙って、他のカテゴリのクラウドを手がけます。Sansanは、名刺管理以外の分野に進出するつもりはないのですか。 寺田 まったくありません。従業員100人ちょっとの私たちに、他の分野に手を出して勝てる力はないと思っています。そもそも「Sansan」と「Eight」を増強するために、やることがまだたくさん残っています。
──では、海外市場へのチャレンジは? 寺田 海外市場には挑むつもりです。名刺は、全世界共通のビジネスツールで、チャンスは多くの国にもある。日本のITベンダーは、最近アジアに積極的ですが、Sansanは米国の市場にチャレンジします。米国は人口が多く、企業のIT投資額も多い。日本と同様に名刺を交換するという文化も根づいていますからね。まずは、100社獲得できるかどうかが勝負でしょう。
名刺管理をデスクや電話機と同じ存在にしたい
──寺田さんは、まだ学生の時に起業することを決めていたそうですね。最初の就職先に商社(三井物産)を選んだのも、商売を学ぶためとか。三井物産でITに触れ、米国の企業に赴任して現地のITベンチャーと深く関わっていた寺田さんが、「名刺の管理」という、古いというか、トラディショナルな分野に着眼したのは意外でした。 寺田 ITで事業を立ち上げたいとは思っていましたが、それ以外は何も決めていませんでした。自分が仕事で最も困っていたことをビジネスにしようと。それが、名刺の管理でした。名刺は、国を問わずビジネスには絶対に必要なもの。格好いい言い方をすれば「国境を越えた出会いの証」です。管理するツールも当然たくさんありましたが、どれも使いにくかった。私と同じことを感じているビジネスパーソンが世界にはきっとたくさんいると思ったのがきっかけでした。
──Sansanのビジネスにおける寺田さんのゴールを教えてください。 寺田 ゴールというのは、年商など経営的な目標のことですか? 今年中に「Sansan」のユーザー数を2500~3000社にして、2年後に10万社にはしたい、と考えています。営業は、他の経営幹部に任せているので、すぐに数字(売上高・利益)は出てきません。
ビジネスなので売上高や利益は大事ですが、私のビジネスゴールは、数字ではなくて定性的なもの。それは、すべての企業や団体がビジネスを立ち上げるときには、必ずSansanを思い出してもらえるようにすることです。
「事業を立ち上げる場合に必要なものは?」と聞かれたら、何を想像しますか。デスク、電話機、パソコン、そしてインターネットに通信回線。誰でも思い浮かびますよね。私は、このときに、名刺管理ツールも思い浮かべてほしいんです。ビジネスに必須のツールなんだから、この質問の答えに入っていてもおかしくはない。まずは、名刺の管理という作業・仕組みが、そんな存在になり、その後に「名刺管理はやっぱりSansanだよね」ってみんなに思ってもらえるようにしたい。それができたら、思い残すことはありません(笑)。
──Sansanは、急成長中のITベンチャーとして注目されていますが、それだけではなく「働きやすい企業」ともいわれていますね。 寺田 徳島県の民家を借りてサテライトオフィスをつくったり、“イクメン”に人気の在宅勤務制度、土日に出社して平日休む出勤日振替制度など複数の制度を設けたり、確かにいろいろなことを企画しています。
ただ、誤解してほしくないのは、従業員の満足度を上げるために、こうした取り組みをしているわけではないということです。あくまでも「従業員の生産性向上」を最優先に考えています。それが、結果的に社員の働きやすさにつながっているということです。私がビジネスを考えるうえで追求しているのは「働き方の革新」です。名刺の管理もこのテーマの延長にありますし、もしSansanの社長をやめても、今の働き方を変える何かを追い求めると思います。

‘自分が仕事で最も困っていたことを解決する事業を立ち上げようと考えました。名刺は国を問わずビジネスには欠かせない。海外にもマーケットは広がっていますしね。’<“KEY PERSON”の愛用品>スマートフォンは“イヤイヤ”二台持ち 寺田氏が用意してくれたのは、スマートフォン。写真はiPhoneだけだが、iOSとAndroid搭載端末を一台ずつもっている。「仕事上、二つのOSを使う必要があるから二台もっているだけ。できれば一台にしたい」とか。
眼光紙背 ~取材を終えて~
寺田さんには、今から5年ほど前、創業して間もない頃にインタビューしたことがある。そのときも感じたのだが、多くのベンチャー企業の創業者がもつ独善的で排他的な雰囲気を寺田さんからは感じない。気張っている様子もなく、どこか肩の力が抜けている。
学生の頃から起業家になることを決めていた。その際にもう一つ、「人生で二度、大きなチャレンジをする」ことも誓ったという。Sansanの設立と経営がその一つになった。将来は、Sansanの経営から退いて新たなビジネスを立ち上げるつもりだ。
「もう私も30代後半のおっさんだから」。その言葉を口にした瞬間、私が知っている寺田さんとは違う、少しぴりっとした空気を感じた。ハイスピードでSansanを急成長させているなかで、寺田さんが描くキャリアプランの時間軸も並みではない速度なのだろう。Sansanが今後どのような成長を遂げ、何を成し遂げたときにSansanの経営の第一線から退くのか。記者として、行く末を注目していきたいIT起業家の一人である。(鈎)
プロフィール
寺田 親弘
寺田 親弘(てらだ ちかひろ)
1976年、東京都生まれ。99年、慶應義塾大学環境情報学部卒業後、三井物産に入社。コンピュータの輸入やシステム開発事業に従事した後、米国に転勤。現地ITベンチャーの日本向けビジネス支援を行う。帰国後、データベースソフトウェアの輸入販売事業を社内ベンチャーとして立ち上げ。その後、セキュリティ関連会社へ出向し、経営企画・管理業務を担当する。2007年に三井物産を退社して三三(現Sansan)を設立。代表取締役社長に就任した。
会社紹介
設立は2007年6月11日。資本金3億5800万円。従業員数は約120人。名刺管理機能のクラウドサービスを開発・販売するITベンチャーで、年商は非公開だが、成長率は創業以来、前年度比約40%増を維持し続けている。社名の由来は敬称の「さん」。人と人(「さん」と「さん」)をつなぐという思いが込められている。