次の市場としてインドに注目
──少し振り返っていただき、次の中計に向け現在の中計での成果や課題は、どうみていますか。 現在進行中の中計の前は、財務基盤が相当弱い状況でした。いまの中計では、営業利益や内部留保も増え、普通の会社に近くなりました。それを支えたのがメカトロであり、プリンタも構造改革を断行し、EMSもM&Aを含め順調に成長してきた。社会システムは、デジタル消防無線など特需要素がありましたが、財務基盤が安定しました。
課題は、次の成長に向け、種を仕込んで新陳代謝する経営に変えていく部分です。失敗しても、種を出し続けることだと考えています。かつては「通信の沖電気工業」といわれていました。3月のNTT向けの局用交換機の出荷は、これが最後の一台になりました。昔は当社の大きな柱でしたが、これが終わったんです。一つのものにしがみついていてはダメなんです。
──最後にグローバル展開の方向性を教えてください。 プリンタについては、マーケットシェアが小さい。キヤノンやリコー、エプソンなどコンペチターとどう相対するか戦略の練り直しが必要と考えています。真っ向勝負しても勝てないので、当社なりのやり方をする。ATMは、新興国中心に展開していますが、世界経済が悪化するなかで辛抱の時とみています。地域としては、インド市場の成長に注目しています。インドではリサイクルATMを出しています。当社の強みは、汚いお札でも処理する機器の信頼性でしたが、競合他社も追いついてきました。また引き離すにはどうするか検討しています。国内外を含め、失敗を怖れず、新しい製品開発にチャレンジする文化に変えていきたいです。

‘失敗を怖れず、新しい製品開発にチャレンジする文化に変えていく’<“KEY PERSON”の愛用品>世界をタイトに動くため グローバル展開する沖電気工業。その社長ともなれば世界を駆け回る。タイトなスケジュールをこなすため、セイコーの世界初GPSソーラー時計「ASTRON」を身につける。時差をいちいち調整することないのでお気に入りだ。
眼光紙背 ~取材を終えて~
社長交代は7年ぶり。川崎秀一・前社長が69歳だったので、57歳の鎌上信也・新社長になったことで、経営が大幅に若返った。
鎌上社長は、ATMなどのシステム技術畑出身で、ATMの海外展開やコンビニ向けの小型機の拡販で実績を残してきた。今や、同社の屋台骨であるATM事業を切り拓いた功労者がトップに就いたわけだ。
川崎前社長は、事業の選択と集中で悪化していた財務を好転させた。鎌上社長の役目は、投資余力が生まれたなかで、次の成長をどう描くかという使命を担っているといえる。
「失敗を怖れずチャレンジする」。インタビュー中に何度となく発していた言葉だ。特化分野では強みを発揮し、安定収入もある。だが、つねに危機感をもっている印象を受けた。休日ともなれば著名な日本の庭園を歩く。花木をめでながら、美味しい食事を楽しむ。静と動の両立で企業を変革に導くことができるか注目したい。(吾)
プロフィール
鎌上 信也
鎌上 信也(かまがみ しんや)
1959年2月、山形市(旧中山町)生まれ。81年、山形大学工学部卒業。同年沖電気工業に入社。システム機器事業の開発部門を長く経験し、2001年、システム機器事業部ハード開発第二部長、10年、同事業本部自動機事業部長。11年、執行役員、12年、常務執行役員、14年に取締役常務執行役員就任。コンプライアンス責任者や経営企画部長を経て16年4月から現職。
会社紹介
1881年、日本最初の通信機器メーカーとして沖牙太郎氏が創業(創業当時は「明工舎」)。89年に沖電機工場に改称。96年には国産初の直列複式交換機を現日本電信電話公社に納品。現在の「沖電気工業」は1912年に設立。製品としては、82年に世界初の紙幣環流機能付ATMを、90年にLED(発光ダイオード)を光源に用いたLEDプリンタを発売。最近では2012年にプリンタ子会社のOKIデータと東芝テックが複合機事業で共同開発を開始、翌年ATMでブラジル市場に進出している。15年3月期の業績は、売上高5401億円、営業利益324億円。