自社開発製品の携帯電話向けブラウザ「NetFront Browser」がNTTドコモの「iモード」で採用されたことにより、知名度と業績を一気に上げたACCESS。ところが、スマートフォンの普及によって携帯電話の利用者数が減り始めると、同社の業績も悪化し始めてしまう。もはや、携帯電話向けブラウザの需要増は見込めない。業績改善と新規市場開拓の必要に迫られるなか、社長に就任したのが兼子孝夫氏だ。前職の富士通ビー・エス・シー(富士通BSC)で経営の立て直しに取り組んだ実績が買われての登板である。
企業の立て直し役として
──ACCESSの社長に就任されてから約1年になります。そもそも、どのようなきっかけで社長に就任されたのですか。 前職の頃から何か問題があると私に声がかかります。とくに1990年頃から、トラブルプロジェクトを収束させる役回りが増えました。システム構築はトラブルがつきものです。お客様との認識にずれがあると、必ずトラブルが発生します。
富士通BSCでも、社長に就任したときは赤字になっており、立て直し役を任されました。当時は親会社の富士通ばかりをみているような会社でしたから、そこから変えていこうと。7年間、富士通BSCの社長を務めましたが、まずまずの業績を残せたと思っています。
──ということは、ACCESSも経営が厳しい状況にあると。 
当社は、1998年に自社開発のブラウザがNTTドコモのiモードに採用されたことで業績を伸ばしていきます。もちろん、それだけでは成長に限界があるので、2001年のマザーズ上場をきっかけに企業買収などを行いながら、次の一手を打ってきました。
ただ、アップルの「iPhone」の登場で市場が一気に変わりました。まさか、携帯電話がこれほど早くスマートフォンに変わるとは、という感じだったと思います。誰が社長をやっても大変な状況でした。携帯電話は減る一方ですから、成長戦略を描きにくい。次の手を打ってきてはいるが、会社全体の売り上げは落ちていく。さあ、どうする。そうした状況で、私に声がかかりました。
引き受けるかどうか、とても迷いました。私は68歳でしたから、社長を長期間務めることはできない。ただ、富士通BSCで難しい舵取りをしてきた経験が生きると思ったのと、ほかに誰ができるのかを考えたときに、大げさですが「私しかいない」のではないかと。
引き受けることを決めてからの動きは速かったと思います。1か月間、顧問として会社に来て、現場の話を聞いて、その1か月間で問題点を徹底的に洗い出しましたから。わかったのは、会社の構造が売上300億円の頃のままということ。現在の売り上げは、100億円以下に落ちていますから、部門によっては人員過多の状態になっている。そのため、例えば間接部門の人数を3分の1に減らしました。
──人員削減ですか。 売り上げを伸ばすことも大前提としてありますので、社員を減らすようなことはしていません。例えば、若手を中心に人材が不足している開発部門に異動するといった対応をしました。
──この一年を振り返ると、どのような感想になりますか。 始めは会社の実力がわからないので、まずは火を噴いているプロジェクトを消しながら、進めてきた印象です。どちらかというと、この一年は“守り”。無駄な支出を抑えることに注力してきたため、なかなか新しいことに取り組むことができないという1年でした。
とはいえ、何もしていないわけではありません。成長戦略は軌道に乗せるまでに時間がかかります。早いうちに仕込んで、議論を重ねていかないといけない。そのために動き始めています。
まずは“今日の仕事”を深堀り
──今後に注力されるのは、どのような分野ですか。 一つはIoTです。昨年は守りだったといいましたが、IoTでは攻めてきました。ただ、IoTに取り組みたいという企業は多いものの、もう少し時間がかかると感じています。
例えば、「家庭の機器をインターネットにつないで」というようなIoTのプレゼンテーションは受けがいいものの、しょせんはコンセプトレベル。まだビジネスにつながりにくい。
──ACCESSで提供するIoTのソリューションは、具体的にどのようなものになるのでしょう。 大きく四つあります。一つは当社の主力事業であるブラウザ。欧州の車載端末で採用されるなど、IoTの要素技術として注目しています。ちなみに、携帯電話向けブラウザの売り上げは、落ちているとはいえ、現在でも7億円ほどあります。
二つ目は、Beacon(位置情報機器)の活用。ネスレ日本や日本交通タクシー、ANA(全日本空輸)などで実績があります。日本交通タクシーでは、タクシーに搭載したBeaconと顧客のスマートフォンが通信することで、クーポンなどのサービスを提供しています。
Beaconは活用範囲が広いため、技術論よりもどう提案するかが重要になります。社員にBeaconを持たせれば、入退室用カードでは対応できなかった二人同時入室などのケースでも、誰が入室したのかをしっかり把握できます。
三つ目は、チャット技術を用いたクラウド型メッセージサービス「Linkit」の活用です。ソフトバンクロボティクスのロボット「Pepper」のメッセージサービス「ペパメ」機能のプラットフォームとして採用されました。また、オービックビジネスコンサルタント(OBC)が基幹業務システム「奉行シリーズ」にネットワーク関連の機能をつけたいということで、同シリーズでLinkitが採用されました。
最後が、テレビとスマートフォン/タブレット端末の連動を実現するコンパニオンアプリの開発。いわゆる、IPTV技術の分野です。IPTVでは誰が何を見ているかが把握できるため、テレビの新しい使い方になると期待されています。
──お聞きした限りでは、IoT分野ではブラウザやチャットツールなどを取り込むため、新規ビジネスというよりも、これまでのビジネスの延長線上にあるという感じですね。 今年は明日の仕事にウエイトをかけ過ぎないようにして、バランスを意識して、“今日の仕事”を深堀りしたいと考えています。IoTがブームだからというのではなく、当社がこれまで積み重ねてきたノウハウが生きる分野として注力しています。
ちなみに、その“今日の仕事”では6項目を挙げて取り組んでいて、6項目のうちの4項目がIoTということになります。
──ほかの2項目は、どのような事業ですか。 一つは電子書籍出版。電子書籍ソリューションの「PUBLUS」は、集英社やKADOKAWAのマンガ配信で採用されています。PUBLUSは国際規格に準拠していますが、縦書きやルビ(ふりがな)に対応するなど、日本独自のニーズに応えています。日本のマンガは世界に配信されますので、電子書籍出版を二番目の柱として期待しています。
そして、もう一つは、米国子会社のIP Infusionが提供する「OcNOS」という統合ネットワークオペレーティングシステム。米国ではデルとの販売提携を結ぶなど、グローバルに展開していて、今後の売り上げに大きく貢献しそうです。
予算達成で“明日の仕事”へ
──昨年は守りの1年だったということですが、昨年度の経常利益は黒字化を実現しました。 ただ、売り上げは約68億円に落ちました。今年度は、売り上げを71億円にします。これが達成できたら、ようやく出発点。そこから“明日の仕事”が始まると考えています。
──社長に就任してまだ2年目ですが、後継者の育成も意識されていますか。 そこも重要です。近い将来には、世代交代が必要になります。若者に次の経営を託さないといけません。社長業は本当に大変ですから、時には修羅場をくぐった経験も必要となります。とはいえ、真っすぐで強ければいいというものでもない。頑張りすぎないことも重要です。
実は当社には借金がなく、キャッシュが十分にあります。これをいかにうまく活用しながら、事業と人材を育てていきたいと考えています。

今年度の予算が達成できたらようやく出発点。そこから“明日の仕事”が始まる
<“KEY PERSON”の愛用品>今も動くワープロ専用機「OASYS」 自宅の納戸に眠っていた富士通のワープロ専用機「OASYS 30AFIII」。1988年頃に購入したものだが、保存状態がよく、今でも電源が入る。モデム内蔵のため、パソコン通信にも利用していたとのこと。後世に伝えたい昔の愛用品である。

眼光紙背 ~取材を終えて~
かつてシステムエンジニア(SE)は理数系出身者が一般的だったが、システムの適用範囲が広がるにつれて、業務寄りの知識をもったSEが必要とされ、文系出身者が採用されるようになる。世界ではIBMが先行していて、富士通も社運をかけてその姿を追った。
文系出身の兼子社長は、その時代にSEとしてキャリアを積んできた。文系出身SEの先駆者である。SE時代には、日本語システムの開発、ワープロやプリンタの開発にも携わったという。モデム内蔵のワープロ専用機でのパソコン通信について話す姿は、本当に楽しそうで、SE時代を想起せずにはいられなかった。
システム開発は、大規模プロジェクトになるほど、リーダーのバランス感覚が重要になる。常に何らかのトラブルが発生するシステム開発では、状況に応じた対処が必要となるからだ。顧客がわがままなため、「誰がリーダーでも火を噴いていた」といわれるようなプロジェクトでも、リーダーが変わるとスムーズに動き出すことがある。トラブルプロジェクトの収束役が多かったという兼子社長は、バランス感覚がすぐれているに違いない。(弐)
プロフィール
兼子 孝夫
兼子 孝夫(かねこ たかお)
1947年7月22日生まれ。東京都出身。71年3月に早稲田大学政治経済学部政経学科卒業。同年4月、富士通に入社。システム本部主席部長などを経て、2002年6月に富士通テクノシステムの代表取締役社長、2004年6月に富士通ビー・エス・シーの代表取締役社長を歴任。2015年3月にACCESSの顧問に就任。2015年4月から現職。
会社紹介
1984年設立。1998年に開発した携帯電話向けブラウザ「NetFront Browser」が、NTTドコモの「iモード」で採用。2001年にマザーズ上場。携帯電話向けのブラウザは縮小傾向だが、最近では欧州の車載端末で採用されるなど、IoTの要素技術として注目されている。このほか、Beaconを活用したIoTソリューション、ビジネスチャット「Linkit」、テレビとスマートフォンの連動によるIPTVサービスの開発、電子書籍出版、SDN(Software Defined Network)などのネットワーク関連事業を展開している。