「多少の失敗は恐れるな」
──地域のユーザーと一体となってイノベーションを起こす、つまり外部の技術・知識を活用した研究開発の手法である「オープンイノベーション」のアプローチですね。どのような取り組みをされていますか。 まだ大きな成功を収めているという案件は少ないのですが、有力候補はいくつか出始めています。例えば、心臓血管の血流解析シミュレーションを手がけるスタートアップ企業「Cardio Flow Design」と共同で、スーパーコンピュータ(スパコン)を活用した血流診断サービスの立ち上げに参画しています。京都と東京の若手の医師や流体力学の専門家らが参加しているプロジェクトで、成功すれば医療分野におるスパコンの活用の幅がぐっと広がる見通しです。
また、東北大学大学院工学研究科の安達文幸教授が理事長を務める東北IT新生コンソーシアムには、理事として参加するとともに、東北大学情報知能システム研究センターに人材も送り出すなど、産学連携も推進しています。他にも、地場の農業や水産業と連携して、生産性や品質を高めたり、技能を次世代にスムーズに引き継げるようITで支援する取り組みにも力を入れています。
──確かに重要なテーマではあると思いますが、お話をうかがっている限り、IT投資の予算ありきの案件というよりは、御社も一緒になって市場を創っていく“手弁当”型の印象を受けます。 オープンイノベーションって、そういうものでしょう。リスクがあるのは百も承知です。地域の管理職、現場のSEにも「多少の失敗は恐れるな」と言ってあります。
大規模な従来型のソフト開発がこれからも右肩上がりで拡大し続けるとは限りませんし、クラウドを活用したサービス型のビジネスモデルや、IoT/ビッグデータ、AI(人工知能)といった新しい技術を生かしたビジネスを増やしていかなければならない。
当社はせっかく地域に根ざした基盤をもっていますので、地域の産業やスタートアップ企業、農業・観光の発展を通じて、新しいビジネスを拡大させていきたい。当面は全社の売り上げはそれほど上がらなくても、利益率を下げない程度に、新しいビジネスモデルの割合を増やしていく方針です。
「日常風景」が一変した衝撃
──杉山社長は、NEC本体にお勤めのとき、主に官公庁などの公共分野をご担当してこられたとうかがっています。官公庁系のシステム開発は手堅いイメージがありますが、どうでしょうか。 それは“手堅さ”を取り違えている。官公向けシステムでも、民需と並ぶほど大きな変化を遂げてきています。入社間もない1980年代、私は官公庁向けの大型システムを動かすメインフレーム「ACOS(エーコス)」シリーズを使った開発に従事していました。国の屋台骨を支える基幹系システムは、将来にわたってもACOSで支えていくという自負心も強かった。しかし、2000年に打ち出されたe-Japan戦略と前後して、次々にUNIXなどのオープン系に置き換わったのを目の当たりにし、私にとっての「日常風景」が一変。本当に衝撃でしたね。
ITは、ある日を境に、別の技術へと転換する。技術者は今の技術に安穏とせず、次にくる技術を常に身につけなければ勝ち残れません。前任の毛利さんは主に民需で似たような試練を乗り越えてきた方で、私は主に官需で体験したというわけです。今から思えば、NECソリューションイノベータの初代社長は民需キャリアだったので、二代目社長は官需キャリアの私を指名することでバランスをとったのかもしれませんね。
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4000人からのSE人員を地域経済のなかで食べさせてもらっているという事実。
この規模で展開して、地域の役に立たないなんてあり得ない。
地域のユーザーと一緒になってイノベーションを巻き起こしていく
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