日本IBMは、顧客企業やビジネスパートナーとの“共創”に経営資源を集中させる。2021年9月、IT基盤領域の構築・運用を手がける事業をキンドリルジャパンとして分社化。日本IBM自身は先進的な技術によって顧客企業のデジタル変革を進めるとともに、ビジネスパートナーへの技術提供による“IBMエコシステム”の拡大を推し進める。上流から下流まですべてをカバーするコングロマリット型のビジネスモデルから共創モデルへの移行を目指す日本IBMは、キンドリルの分社化によって、22年は文字通り“背水の陣”で新しいビジネスモデルへの転換に邁進していく。
(取材・文/安藤章司 写真/大星直輝)
顧客と共にデジタル変革を推進
――IT基盤回りの構築・運用を手がける事業がキンドリルジャパンとして分社化され、日本IBMの約2万人の社員のうち約4000人が同社へ移りました。日本IBMにとって22年はビジネスの内容が大きく変わる年になりそうです。
ここ3年ほど社内で議論が続いてきた結果、IT基盤領域をキンドリルへと分社化することになりました。米キンドリルは21年11月に米ニューニーク証券取引所に株式上場を果たし、米IBMの連結子会社ではなく、独立したITベンダーとして事業を始めています。国内においても日本IBMから分社化するかたちでキンドリルジャパンが立ち上がっており、IT基盤領域はキンドリルジャパンが担っていくことになります。
では、日本IBMのビジネスはどう変わるのかと言えば、先進的なデジタル技術を駆使して顧客企業の経営変革を共に推進する“共創”ビジネスにより力を注いでいきます。
企業がデジタル変革を遂行するとき、従来のように情報システム部門がITシステムの入れ替えを担当するような限定的な話ではなく、経営層から事業部門に至るまで全社的な変革になります。顧客企業はデジタル技術を戦略的に活用するため自ら主導してシステムを設計し、開発についても内製化の比率をより積極的に進めるでしょう。そうしたとき、ITベンダーが請け負いの仕事ばかりを求めているようでは顧客のやりたいことに寄り添えないし、期待にも応えられません。そこで、顧客が例えばローコード開発やアジャイル手法を用いた内製開発の比率を高めるのであれば、日本IBMはそれを積極的に支援しますし、必要な技術を提供して顧客と共にデジタル変革を完遂させます。
――コンピューターメーカーやSIerにとって、請け負い開発やITアウトソーシングは重要な収入源であり、ここを切り離してしまうと日本IBMにとって経営の不安材料になりませんか。
請け負い開発やITアウトソーシングは重要なビジネスです。それが価値のないものだとはまったく考えていません。ただ、顧客視点で見たとき、特定ベンダーのプラットフォームに縛られる提案は魅力が欠けます。世の中には、IBM Cloudもあれば、AWS、Azure、GCP(Google Cloud Platform)などがあり、顧客は投資対効果や目的、用途によって自由に選びたい。クラウド時代になってIT基盤回りはマルチベンダーがあたりまえになり、日本IBMだからといってIBM Cloudだけを特別扱いしていては伸びるものも伸びなくなってしまう恐れがあります。
そこで、「IBM」の冠をあえて外したキンドリルを立ち上げ、プラットフォームの選択の幅が広がるようにしたわけです。すでにキンドリルはアマゾンやマイクロソフト、グーグルといったプラットフォームベンダーのグローバル・エコパートナーになっており、特定ベンダーの制約を受けずにビジネスを伸ばそうとしています。この領域はこの領域で伸ばしつつ、日本IBMはコンピューターメーカーとして量子コンピューターをはじめさまざまな新しい技術を開発し、顧客の経営変革を“共創”というスタイルで支える領域に経営資源を集中します。そうすることでIT基盤領域、デジタル変革や共創の領域の両方を伸ばせると見ています。
パートナーにIBMの技術を提供
――つまり、IBMは顧客のデジタル変革を共に進める共創パートナーで、かつIBM独自の革新的な技術を開発するメーカーであり続ける。それ以外のIT基盤回りやITアウトソーシングはキンドリルというかたちで分社化し、距離を置いたということですか。
そのほうがIBMにとっても、キンドリルにとってもビジネスを伸ばしやすいと判断しました。日本IBMとキンドリルジャパンの関係においても同様です。
――ビジネスパートナーとの関係はどう変わりますか。
日本IBMは、オフコン全盛期の旧AS/400やIBM PCの販売を担ってくれた販売パートナーの時代から多くのビジネスパートナーに支えられてきましたが、近年ではパートナーの範囲も広がり、多様化しています。
従来はIBMの製品やサービスを販売する販売パートナーがメインでしたが、今はIBMの技術を活用して新しいサービスや価値を創り出すパートナーが主流であり、当社としてもIBMエコシステムとも言えるパートナービジネスを重視していきます。直近ですと、アプリケーション性能監視に関するIBMの技術をNECに提供したほか、当社と伊藤忠テクノソリューションズ(CTC)とでハイブリッドクラウド領域における協業を進めています。前者がパートナーの製品やサービスにIBMの技術を組み込んでもらうパターンで、後者が技術を軸に協業するパターンだと言えます。
――これまで激しい競合関係にあったNECへの技術提供や、マルチベンダーのCTCと組むとは、従来とはずいぶん毛色が違うパートナーシップですね。
今のITビジネスは一部で競合関係にあっても、それが全部ではありません。ベンダー同士の水平的な協業がユーザー企業にとってメリットとなるケースも多分にあります。他にも当社では大手旅行会社JTBとの間で、観光業向けのデジタル変革を推進するための合弁会社I&Jデジタルイノベーションを21年4月に立ち上げるなど、ユーザー企業とのパートナーシップの強化にも努めています。
顧客視点でビジネスを再構築
――ユーザー企業との共創でデジタル変革を推進し、合弁事業も手がけ、同業他社に技術提供もする。このビジネスモデルで日本IBMの売り上げを伸ばせますか。
企業向けITビジネスは、上流コンサルティング、システム構築(SI)、ITアウトソーシング、製品の大きく四つの分野があります。これら四つの分野の技術やサービスの要素のコングロマリットとしてIBMは存在してきましたが、これからは「技術を活用した共創のパートナーモデル」へと変わっていかなければならないと見ています。
顧客視点で考えてみてください。「プラットフォームは自由に選びたい」「SIはできる限り短期間で終わらせてサービスを素早く立ち上げたい」「ITアウトソーシングは縛りのないマルチベンダーで対応できるところに任せたい」。そしてなにより、先進的な技術を常に生み出して「デジタル変革を共に成し遂げてくれる頼もしいパートナーと新しい価値を共創したい」と、多くのユーザー企業が感じているのではないでしょうか。だったら顧客がもっとも喜んでくれる布陣に、ベンダーは自らを変えていくことが、中長期的な見たビジネスの伸びにつながります。
――技術者の所属先を見ると「ユーザー3割、ベンダー7割」と言われ、国内はベンダーに開発を依存する割合が高い。欧米とは逆ですが、米国発のIBMの新しい共創モデルは国内でも通用しますか。
素早くIT基盤を構築できるクラウドや、ソースコードをほとんど書かないローコード開発、常に開発し続けるアジャイル開発が、今のトレンドですよね。技術の進展によって、昔だったら技術者100人がかりで開発していたプロジェクトも、たった10人で開発する時代がすぐそこまで来ています。実際、そのくらい効率化しないとデジタル変革のスピードに追いつけなくなるでしょう。
ユーザー企業がこれからも多くの価値を生み出すためには、ビジネスとテクノロジーをうまくバランスさせなければなりません。人をたくさん投入すれば解決できるという問題でもありませんし、国内の場合、就労人口がどんどん減少する課題も抱えています。当社はテクノロジーを軸にしたユーザー企業やビジネスパートナーとの共創モデルこそが、持続的に成長できる道だと考えています。
眼光紙背 ~取材を終えて~
過去を振り返れば、IBMはPCやIAサーバーなど当時まだ売れ筋だった商材を売却している。本体からいさぎよく遠ざけることで、ソフト・サービスの領域へスピード感をもって傾注することが可能になった。
とはいえ、一概に製品事業を切り離すのではなく、IBMの強みを生かせる領域はしっかり残している。例えば、量子コンピューターは国内にも持ち込み、東京大学とともに活用に向けた研究活動に取り組む。約3兆8000億円で買収したレッドハットは、プラットフォームを選ばないOSS(オープンソースソフト)を軸としていることから、オープンな技術を重視するIBMの方向性と合致する。
かつてのPC事業の売却は、数年後に国内ベンダーによる“後追い現象”が起きている。それを踏まえれば、キンドリル分社化も数年後に「あのときのIBMの判断は正しかった」と言われる日が来ることも十分にあり得る。
プロフィール
山口明夫
(やまぐち あきお)
1964年、和歌山県生まれ。87年、大阪工業大学工学部を卒業。同年、日本IBMに入社。エンジニアとしてシステム開発・保守に携わった後、2000年問題対策のアジア太平洋地域担当、ソフトウェア製品のテクニカルセールス本部長、米IBMでの役員補佐などを歴任。07年以降はグローバル・ビジネス・サービス事業を担当し、理事、執行役員、常務を務めた。17年、取締役専務執行役員グローバル・ビジネス・サービス事業本部長に就任。併せて米IBM本社の経営執行委員にも就いた。19年5月より現職。
会社紹介
【日本IBM】2020年12月期の売上高は8693億円、営業利益は845億円。国内に約50カ所の事業所を展開。米IBMは19年にOSSベンダーのレッドハットを買収。21年9月、IT基盤領域を担うキンドリルを分社化。キンドリルは21年11月にニューヨーク証券取引所に株式上場している。