高知工科大学 副学長 水野博之

 ご存知、坂本龍馬。司馬遼太郎の小説以来、国民的人気者である。日本歴史上の人気投票をしたら、あるいは10傑のなかに入るかもしれない。そんな人気者である彼も幼い時は「泣き虫であった」という。龍馬といえば幕末、千葉周作の道場で代稽古をつけたといわれる剣豪であったが、それが「泣き虫であった」とは? しかし、人間というのはそんなものであろう。

 恐らく、龍馬はそんな自分の弱いところを直そうと剣を学んだのであろう。いわば、自分の弱いところをテコとして成長する人間であったのだ。どうも人生の勝負はこの辺りでつくのではないか、と思われる。多くの人は自分の弱点を自らのエクスキューズ(弁解の言葉)として使うところがあるが、成功した人間を見ると、自分の欠点を軸として大成する。

 松下幸之助は大変体が弱かった。だから、何から何まで自分でやるわけにはいかない。そこで仕事をまかすためにはどうしたらよいかと工夫を重ねた結果、「事業部制」という経営学の歴史に残るような方法を考え出し、大企業への道を開くのである。これなんかも自分の弱点をテコとして成功した例であろう。「体が弱いから」、「金がないから」などなど人生は「エクスキューズ」に満ちている。これをどう乗り越えるかというところから自分の人生が始まると考えるべきなのであろう。

 龍馬はまさにこの点において工夫の達人であった。自分の人生を工夫し、藩の行く末を工夫し、国の行く末を工夫したのであった。彼は学があったわけではない。人の意見を聞き、それをもとに考えていったのである。ただ、彼の思考が島国日本を越えた時、悲劇が待っていた。その点では、真のアントレプレナーの最後は悲劇に終わるのかもしれない。しかし、考えてみたまえ、どうせ人間は死ぬのだ。10年、20年長くダラダラ生きるのがよいのか、思案のしどころではある。(高知城にて)