大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第88話 ロコモーション号

2003/06/30 16:18

週刊BCN 2003年06月30日vol.996掲載

水野博之 立命館大学客員教授

 かくもうるさい支配階級の反対の声に対して、庶民の声はスティーブンソンに好意的であった。彼等はひたすらに蒸気機関を面白がったのである。この点、歴史を予見するのは、支配する人達や、評論家の才覚ではなく、大衆の嗅覚である、といってもよいであろう。しかし、庶民の力はいつの時代でも弱いものだ。スティーブンソンは偏見に対する挑戦から仕事を始めなくてはならなかった。すでに、ワットやトレビシックの例にあるように、蒸気機関は一部の炭鉱や鉄工所では運転されていた。

 しかし、これは一部の物好きな愛好家(パートナー)が私的に使っていたに過ぎない。これを一般の支配階級の人に理解してもらう必要がある。そのためのデモンストレーションをスティーブンソンとそのパートナーは始めたのであった。彼等は、議会に働きかけ炭鉱の町ダーリントンと港のあるストックトンの間に公共鉄道をひくことを提案したのであった。1825年9月27日、スティーブンソンによってつくられ「ロコモーション号」と名づけられた蒸気機関車が汽笛一声、ダーリントンの町を出発した。

 招待された乗客600人は不安を勇気でおぎない、そわそわしながら椅子に座ったのだ。そのうちの1人は後に正直に告白している。 「動き出したときは不安で一杯で、いよいよとなれば、家内をかかえて、デッキから飛び降りるつもりであった」。だが、飛び降りる機会を逸したまま汽車は順調に進行して、3時間後、ストックトンに世界最初の公共列車はたどりついたのであった。ダーリントンとストックトンの間の距離は19kmあるから、時速6.3km。まあ、何とものびやかな時代であったといえる。現在の市民マラソンのスピードにも及ばない。何事も物事の始まりは、そのようなものだ。(大阪ユニバーサルスタジオにて)
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