視点

パッケージメディアは不滅だ

2004/08/23 16:41

週刊BCN 2004年08月23日vol.1052掲載

 アップルのiPodや、ソニーのハードディスク(HDD)ウォークマンなど、HDDに音楽信号を蓄積する携帯端末が大ヒットしている。ポータブルオーディオ機器のメモリーメディアとして何がサバイバルするかについての、この10年間の喧々諤々の論争に、「それはHDDだ!」との決着がつきそうな雰囲気だ。大容量=大曲数だからだ。確かに大容量は素晴らしい。数十ギガバイトもの容量には、数千ものポピュラー曲が収蔵できる。それは、ユーザーの持つコレクションがすべてその中に収まるというものだ。しかも、プレイリストも作れるから、アルバム単位を超え、お気に入りの曲だけをセレクトして聴くこともできる。

 もう、便利なことこの上ない。しかし、私はそれでもパッケージメディアは絶対になくならないと思う。なぜなら、コンテンツに触り、所有し、「愛でる」ことができる媒体は、パッケージをおいて他にない──からである。好きなコンテンツは自分のものにし、愛蔵してこそ、心の糧になる。音楽や映像は畢竟、単なる電気信号に過ぎない。目に見えない信号だからこそ、それが目に見える形、触れる形に定着されない限り、コンテンツを所有しているのだという実感はない。HDDに蓄積してある限りは、単にしまってあるだけで、自分のものという実体感覚は持てない。

 しかし、パッケージが本来持つはずの感覚的な強みには条件がある。愛でることのできるサイズ、形のパッケージでなければならない。つまりパッケージの形自体に、ヒューマンな魅力がなければならないということだ。するとSD、メモリースティックのICメディアは失格である。形が事務的に過ぎ、触ってみたいという誘惑に駆られないからだ。そんな観点で既存のパッケージを眺めてみると、CDは手には馴染むものの、携帯するにはもはや大きすぎる。私はMDがいいと思う。直径6.4センチのMDは、小さすぎない大きさ、スクウェアな形、パッケージ自体に曲目が書ける、ケースで覆われているので手で直接持てる…などの点から、理想的なパッケージではないか。そこで注目は、ちょうどソニーからリリースされた1ギガバイトのHiMD。このタイミングは、HDD全盛の時代の今だからこそ、パッケージ文化を護らなくてはならないという神の意志なのかもしれない。
  • 1