IT業界のグランドデザインを問う SIerの憂鬱

<IT業界のグランドデザインを問う SIerの憂鬱>第15回 ロングテールの方程式

2007/07/16 16:04

週刊BCN 2007年07月16日vol.1195掲載

下流工程からのアプローチ

 東京・千代田区麹町に本社を構えるインフォメーション・ディベロプメント。創業は、前回紹介した日本システムディベロップメント(NSD)とほぼ同時期、データ入力とシステムズオペレーションを基盤に発展してきた点でも共通している。「当社は“地味”が売り物」と舩越真樹社長が冗談めかして語るほど、下流工程に徹している。「ただし、当社はユーザー企業とダイレクトな契約を結んでいる。三次、四次の下請けではない」──これこそがロングテールの安定成長を実現するキーではないか。(佃均(ジャーナリスト)●取材/文)

■高い成長への期待は無理

 売上高は前年度比12.8%増の146億9200万円、営業利益は9.6%増の17億7700万円、当期利益は28.0%増の5億5000万円──インフォメーション・ディベロプメントの2006年度連結決算だ。NSDほどではないが、営業利益率7.0%は業界上位に入る。

 「当社に飛びぬけて高い成長を期待するのは無理。株主やアナリストの皆さんには、いつもそう申し上げています」

 舩越真樹社長はそのように言う。

 08年3月期は売上高181億円を予想するが、昨年12月に買収した日本カルチャソフトサービスののれん代償却などグループ体制の整備に予算を投入するため、営業利益は7.3%減の9億5000万円、当期利益は12.8%減の4億8000万円とみている。

 「多少のデコボコはあって当たり前。着実・堅実な成長が信頼に結びつく」

 とはいえ、“次の布石”を打っていないわけではない。システム設計方法論PRIDEを掲げてシステムコンサルティングを行うプライドを傘下に置き、全国6都市のほか、中国・武漢にオフショア開発センターを開設している。並行していち早く女性社員の積極起用を推進し、産休後の職場復帰を支援する制度も整備した。

■バブル崩壊が転機

 今から20年ほど前。

 当時、UNIXワークステーションやパソコンが急成長していたものの、企業の基幹系システムはメインフレームが全盛だった。都市銀行の第三次オンライン・システムを中心に、証券・保険、鉄鋼、流通・サービスなど、ほとんどの産業分野で大規模なシステム開発が相次いだ。

 年間の予算総額が100億円超、開発規模が500人月、1000人月といった大がかりなプロジェクトでSI業界は沸き立った。「人が足りない」が挨拶代わりになった。受託計算センターばかりでなく、データ入力業やシステム運用管理業が一斉に受託ソフトウェア開発にシフトした。

 同社もソフト開発に軸足を移そうとした一社だ。ところが既存のデータ入力とシステム運用管理から、なかなか転換できなかった。各社が新卒採用に血道をあげる中で、ポツンと残されていた印象が強い。

 創業者で当時の社長だった尾眞民氏(現会長)は、「当社の社風は実直というか不器用というか…」と苦笑する。「周りのみんなが向こう側(受託ソフト開発)に渡りたいのなら、こっち側(データ入力、システム運用管理)にこだわる会社があってもいいじゃないか」。

 それが幸いした。

 92年の秋、バブル経済がついにほころんだ。地価の下落が始まったのだ。これを機に翌年度に予定していた開発プロジェクトが軒並み延期・中止となり、受託開発型SIerは大量の浮動要員を抱えることになった。プロジェクトにアサインできないということは、人月の稼ぎがなくなることを意味していた。リストラの嵐が吹き荒れたのは93年から2年間だ。

 ある大手SIerは北陸の開発センターに浮動要員を出向させ、敷地の草取りだけさせた。あるSIerは「ドキュメントの整理」という名目で、毎日、役にも立たない書類を繰り返し清書させた。こうしたリストラ策は「プログラマ残酷物語」として巷間に広まり、「35歳限界説」がまことしやかにささやかれた。

 実はこのときがSI業界にとって大きなチャンスだった。浮動要員に体系的な技術教育を実施し、“自転車操業”からどう脱皮するかに真正面から取り組んでいれば、SI業はもっと違ったかたちになっていただろう。

 サービスモデルへの転換、ストックビジネスの開拓、より付加価値の高いソフトウェア・プロダクトをベースとするシステム構築、生産性を高める工学的手法の採用…。85年度から通産省(当時)が旗を振った官民共同プロジェクト「ソフトウェア生産工業化システム」(いわゆるシグマシステム)の経験値は、リストラの嵐でどこかに吹き飛んでしまった。

■要員派遣でなく技術提供

 再びインフォメーション・ディベロプメントの舩越社長のインタビューに戻る。

 「あれから15年たった現在も、多くの同業企業は“自転車操業”から抜け切れていないようにみえる。人は易きに流れる、という言葉通り、再び要員派遣が台頭してきた。当社はたしかに契約上では派遣もするが、人を派遣しているのではない。技術を提供している」

 この自信はどこからくるのか。

 次のような答えが返ってきた。

 「ユーザー企業との直接契約が、売上高の約9割。いずれもそれぞれの業界大手で、長いおつき合いをいただいている企業ばかり。BPO、ITOがあってSIがある。それが当社のビジネスモデルです」

 BPOとは「ビジネス・プロセス・アウトソーシング」、ITOは「ITアウトソーシング」のことで、同社独自の用語といっていい。創業当初からのデータ入力や事務計算をBPO、システム運用管理をITO、受注ソフト開発やコンサルティングをSIと呼んでいる。

 並いるSIerの決算説明会で、顧客名が表に出るのは同社ぐらいだ。みずほ銀行、損保ジャパン、三井生命、農林中央金庫、全日空、東京ガス、富士フイルム、ライオン、IT関連では日本ユニシス、日本IBM、テプシス(東京電力)、NTTグループといった企業の名前が並ぶ。

 「BPOとITOでは新規ユーザーの開拓、SIでは既存ユーザーの深耕を進めていく。新規ユーザーとの関係を、ロングテールのビジネス・パートナーに高めていく。これが当社の成長戦略」

 下流工程からロングテール+ストックビジネスへのアプローチ──これもSI業界のグランドデザインに組み込まれていい。
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