ITから社会を映すNEWSを追う

<ITから社会を映すNEWSを追う>バックアップセンターは北総に

2007/12/10 16:04

週刊BCN 2007年12月10日vol.1215掲載

「活断層なし」の好立地

近場なら緊急時に対応できる

 500年前まで、現在の東京・山手線環内のほとんどは海の底か湿地だった。太田道灌が江戸城を築いたとき、床板の隙間から海面が見えたといわれる。さらに時を1000年ほどさかのぼると、現在の埼玉県・川口あたりで旧利根川が江戸湾に注ぎ込んでいた──といって、今回は地学の勉強ではない。ここにきて、「成田層」と呼ばれる地層を基盤とする下総台地が、首都圏直近のバックアップセンターの立地として脚光を浴びている。データセンターは北海道や沖縄、バックアップセンターは東京・大阪2拠点体制というこれまでの“常識”が見直され始めた。

■行田市に巨大古墳がある理由

 埼玉県行田市のさきたま古墳群は、金象嵌の漢字116文字を刻んだ鉄剣が出土したことで知られる。なぜ行田市のような内陸に全長100メートルを超える前方後円墳や円墳が築造されたのだろうか。

 「当時、利根川の本流は川口市のあたりで江戸湾に注ぎ込んでいた。近隣豪族や大和王家の使者が川を遡上してきたとき、船から仰ぎ見る高台に、王家の墳墓を築造したのではないか。王家の武威を示すとともに、ここから先がサキタマ王家の直轄領であることを印象づけたのだろう」

 というのが、地質学の知見を加味した歴史学者の解釈だ。縄文時代の貝塚遺跡をプロットすると、国道16号線(横須賀─町田─八王子─川越─行田─春日部─木更津)の周縁に集中する。これが旧石器時代から固定していた海岸線、つまりその地下に強固な地層が内在していることになる。

 千葉県印西市。

 平安末から鎌倉の初期、印旛沼の西という意味でこの名が付いた。市内には1万3000年前と推定される旧石器遺跡、6000年前とされる縄文貝塚遺跡が集中する。日当たりのいい、海に面した高台だったことをうかがわせる。時を隔てた21世紀、この地に大規模なデータセンターが相次いで建設されるとは、往時の人々は想像もしなかっただろう。同市を東西に貫く北総線「千葉ニュータウン中央駅」と「印西牧の原駅」の周辺がその地域だ。

■着々と将来への布石

 両駅周辺の造成地には、NTTデータをはじめ、IT業界で馴染みの企業名が並んでいる。市が作成した土地利用計画図を見ると、この2つの駅の周辺は「職住近接の産業誘致エリア」に位置づけられているらしい。○○銀行、××建設、△△生命保険、□□サービスなど、国の機関や1部上場の著名企業が進出しているのだが、大きなビルが建っているだけで、周辺に人影はあまりない。

 「千葉ニュータウン計画のなかで、白井市から印西市にかけて、首都圏直結型のITタウンにする構想が立案された。100ギガビットという超高速大容量の基幹回線を引き、これを利用して、まずデータセンターやバックアップセンターを、次にソフトウェア開発やマルチメディア・コンテンツ制作、インターネットサービスの企業を誘致する」

 印西市副市長の伊藤圭子氏は説明する。広域ブロードバンド・ネットワークを構築したほか、人材育成とハイテク・ベンチャーの育成を目的に、東京電機大学と共同で産学共同研究センターを設立した。

 「そこまでやったのだから、もう一歩進めて全国最先端のIT都市を実現すべきだ」という声もあるが、人口急増への対応で市の財政は精いっぱいだ。1985年に6036世帯・2万3373人だった人口は、05年には1万9670世帯、6万60人に増えた。学校は作らなければならない、ゴミの回収と処理能力を増強しなければならない、道路は整備しなければならない、あわせて地域の安心・安全の確保……。情報化どころではない。

 情報主幹課長の増渕正彦氏は言う。

 「電子自治体については、2番手、3番手でかまわない。ITだけで行政課題が解決するわけではない。ただ、将来の布石としてデータセンターの誘致には力を入れている」

■交通の便も条件のひとつ

 全長100メートル超の大古墳が行田市にあるのはなぜか、というのと同じように、なぜ印西市にバックアップセンターか、という疑問への回答は、「北総台地」だ。旧石器時代からの固定した地盤に加え、活断層がない。

 この列島に住む限り、どこに行っても地震から逃れることはできない。建物の耐震構造が強化されたこと、インターネット技術が普及したことなどで、ITシステムに壊滅的な被害が出ることは少なくなった。だからといって、データセンターを地震の巣の上に置くわけにはいかない。

 北海道や沖縄が注目されているのはこのためだが、ここにきてデータセンターに対するユーザー企業の認識に変化がみられる。

 「コールセンターやデータ交換センターなど、サービス機能は遠隔地でもいい。それは事業の継続性という観点だが、緊急時のバックアップ用としては遠すぎる」

 こう話すのはヤマト運輸の企画担当者だ。

 「緊急時には、コールセンターやデータ交換センターばかりでなく、全社のシステムをトータルに管理して、早期にアプリケーションを復旧すること。それが難しい場合でも、打ち出した帳票を迅速に営業拠点に届ける体制が求められる。つまり大都市周辺に情報処理センターがなければならない」

 情報セキュリティ対策として、他社と同じように同社も情報処理センターの所在地を明らかにしていないが、本業の宅配便サービスをそのままデータ復旧に活用する対策を講じている。ネットワークは全国をいくつかのブロックに分け、特定地域が被害に遭っても全体に波及しない設計となっている。

 印西市にかぎったことではないが、北総エリアは首都圏から50キロ内外で、複数の交通手段が確保できる。近隣に化学工場があるわけでもない。首都圏を直下型地震が襲うとすれば、相模湾か伊豆沖と衆目が一致しているなかで、「北総エリアは安全性が高い」というわけだ。

 そうした見方で中京地区、関西地方に目を転じると、岐阜県の神岡が浮上する。宇宙から降り注ぐ太陽ニュートリノの存在を確認したスーパーカミオカンデ。他所で発生した地震波の影響を受けにくい強固な地盤と、そこに掘られた採掘坑が着目された。ここも大都市直近の情報処理型データセンターの立地条件を整えていることになる。

 意外な場所がIT都市として発展する可能性を秘めている。

ズームアップ
データセンターの構想
 
 1980年代後半、都市銀行や大手証券会社が年間100億円単位の巨費を投じてメインフレームの超大型機を競って導入したことがあった。その当時、三洋証券(97年11月経営破たん)の土屋陽一氏が、副社長時代から提唱していたのが、「富士山麓の地下に超大型機を集約する」という構想だった。
 この案は沈んでしまったが、首都移転計画とあいまって、「複数の電力会社から電力の供給を受け、超大容量・高速の通信回線を引く。コンピュータから発生する熱を新首都のビル群に使う」というSFのような話だった。
 20年経った現在、あながち夢物語だったとはいえない。
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