もはや世界はスマートフォンがなければ夜も日も明けぬほどの社会となっているが、不思議なことに日本経済、日本企業に及ぼした影響については、行政やマスコミなど公のものとしてはほとんど調査されていない。
まず、スマートフォンの登場で、日本の誇るデジカメ、ゲーム機、携帯電話、カーナビ、パソコンというハイテク製品が売れなくなった。街でもゲームセンター、本屋、映画館、レンタルビデオ店などが軒並み影響を受けた。スマートフォンは輸入製品であるから2010年を境に日本の貿易が恒常的に赤字構造となる。多くの電機、電子メーカーはスマートフォンへの対応が遅れ経営危機を迎える。世界のビジネスのベースが、アップル、グーグル、ヤフー、アマゾンという米国企業により一新された。
これだけの激震を及ぼしたスマートフォンの影響をなぜ調査、分析をしないのだろうか。するべきではないのか。私は、経済産業省に何度も働きかけたがらちがあかない。そこで、個人的にシンクタンクである浜銀総合研究所に依頼をし、そのご厚意で調査をまとめていただいた。これがまさに衝撃的な結果であった。まず、その概要であるが、世界的にパソコンがスマートフォンに置き換わり年間で3億台を大きく割り込んでいる。デジカメにいたっては、2010年に1億台あった出荷台数は4千万台を切り、もはやスマートフォンに駆逐された感がある。次々と日本の誇るハイテク産業の落城が読み取れた。
スマートフォンの進展により、村田製作所、イビデン、ディーエヌエーなどの通信会社、端末の部品の製造会社、コンテンツを受けもつスマートフォン関連企業の成長はあるものの、基本的にこの数年は日本のエレクトロニクス産業はかってない構造調整に追われてきた。
戦後初めて主たるハイテク製品を輸入するという事態は、日本の誇る産業である3番電気機器、4番輸送機器、5番一般機械というクリーンアップトリオの3番が絶不調となる。電機、電子製品については、電子部品以外の映像機器、通信機、電算機ともに減少し、かって70%まであった貿易特化係数は10%を切るまで落ち込んだ。きちんと調査、分析を行い、スマートフォンの時代、スマートフォンの次の時代の産業政策、ビジネスモデルをもたねば、米国企業のビジネスモデルに追いつくのは難しい。
アジアビジネス探索者 増田辰弘
略歴
増田 辰弘(ますだ たつひろ)

1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。01年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。