官民ファンドの産業革新投資機構で、9人の民間出身取締役が全員辞任というショッキングな事態となった。本格的なインキュベーター「かながわサイエンスパーク」の立ち上げを体験し、官も民も経験した私にとって、今回は極めて興味深い事件だった。
まずこの問題、民と官のそれぞれに無理筋な論理がある。民で機構側の田中正明・元社長は、経産省から高額報酬を文書で示され、取締役会で決議されたにもかかわらず、経産省に白紙撤回された。「日本は法治国家ではない」が田中氏の論理だが、そもそもこの文書は文書番号、日付、差出人が書かれた正式なものではない。
「事をスムーズに進めるために、取りあえずメモとして出します。しかし、不測の事態が起きた時の逃げ道はつくっておきます」。ここだけでなく、この種の話は少なくない。今回、彼らは辞任でその逃げ道を塞いでしまった。この官民ファンドは会社法の組織であるとともに、産業競争力強化法による組織であるためやむを得ないのだ。この認識が希薄であったように感じる。
一方、官の側にも無理筋な論理がある。機構が孫、ひ孫会社を通じてベンチャー企業に投資するのは、内容が不明朗となり、適切ではないというものだ。機構の民間出身取締役の多くが知名度はあるものの、バイオやAIといった個別のベンチャーをそれほど知っているわけではない。あえて言えば、個別のベンチャーを知っている人を知っている、そんな立場なのである。学識経験者とはおおむね、そうした役回りだ。しかも、この人たちが、ただ親切に企業を紹介してくれるわけではない。彼らもそれでビジネスがしたいのだ。これが孫、ひ孫会社ということになる。ベンチャービジネスはまさに生き馬の目を抜く世界で、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が渦巻く。彼らを活用し、ある程度距離を置くこともリスク管理では賢明な判断といえる。
ベンチャー企業のファンドの一番大変な仕事は資金集め。どれくらいを集められるのか、仕事の7割はここにあると言っていい。個別のベンチャー企業を良く知っている人でも自分では資金が集められないから、孫、ひ孫会社となってくる。だが、機構は2兆円を政府が出資し、その苦労はまったくないのだから、今回の民間出身取締役は少し頑張り過ぎだったと私には思える。
アジアビジネス探索者 増田辰弘
略歴

増田 辰弘(ますだ たつひろ)
1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。2001年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。