メインフレームと呼ばれるコンピューターが主役であった時代、オペレーター、プログラマー、システムエンジニアという職位階層があった。まずは、オペレーターとしてシステムの運用管理の経験を積み、次にプログラマーとして当該領域の業務知識を身に付け、やがて業務システムの設計・開発を担うシステムエンジニアになるというキャリアシナリオである。そのようにして30代半ばを過ぎる頃になると、エンジニアのグループリーダーとなるべく組織管理、プロジェクト管理に専念し、現場レベルの技術作業には自ら直接関わることのないようにと、上司に諭されたものである。こうして業務システムに関する知見は高いものの、次から次へと現れる新技術には疎い中間管理層が育てられてきた。
先日、知己の40代のエンジニアと世間話をしていたとき、何気なくこんな話をしたところ、彼自身このような扱いをされてきたと聞かされて愕然とした。彼自身、今置かれている状況に強い危機感を抱いていても、周囲が何か配慮してくれるわけもなく、自己努力で技術を学び続けるほかに術がない。こんな何十年も前のキャリアシナリオが現場で生き残っていたことに驚いた。
そういえば気心の知れたIT企業経営者と一杯やる折々に、誰からともなく出てくる愚痴にはエンジニアの質の劣化を憂えるものが多い。技術力がないのに向上心が見られない、勤労意欲が乏しい、少々のトラブルで簡単に辞めてしまうなどだ。総じてIT系企業のエンジニアの質は、近年劣化しているように思う。かつて、大手証券会社のシステム・マネージャーに教えられたことがある。「何十人、何百人ものエンジニアを集めて、やっと優れた数人を見つけることができるのです」。そう、優れたエンジニアは滅多にいないことは昔から分かっていたことなのだ。
一般的なIT組織では、歳を重ねるにつれ技術能力の高さよりも管理能力の高さが重視されるものだが、中高年になっても自己の技術を磨き続けたいと望むエンジニアは少なくない。優れたエンジニアが旧態依然のキャリアシナリオで、エンジニアとしての輝きを失っていく姿を数多く見てきた。こうしたエンジニアの技術欲を満たしその技術力を伸ばし、明日に希望の持てるキャリアシナリオは誰がいつになったら考えてくれるのだろう?
一般社団法人 みんなのクラウド 理事 松田利夫
略歴

松田 利夫(まつだ としお)
1947年10月、東京都八王子市生まれ。77年、慶應義塾大学工学研究科博士課程管理工学専攻単位取得後退学。東京理科大学理工学部情報科学科助手を経て、山梨学院大学経営情報学部助教授、教授を歴任。90年代に日本語ドメインサービス事業立上げ。以降ASP、SaaS、クラウドの啓蒙団体設立に参加。現在、「一般社団法人 みんなのクラウド」の理事を務める。