情報産業という言葉は、『情報の文明学』(中公文庫)に収められている1963年の論文「情報産業論」で梅棹忠夫が初めて使ったと言われている。今ではすっかり常識となったが、産業は、農業、工業、情報と進化してきたとも書かれている。そして、内閣府によれば、次は「Society(ソサエティ)5.0」だと言う。
狩猟社会をSociety1.0と定義し、農耕社会、工業社会、情報社会(Society4.0)を経て、新たな社会は「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会」なのだとか。内閣府のサイトによると、「情報社会では知識や情報が共有されず、分野横断的な連携が不十分であるという問題」があったが、「Society 5.0で実現する社会は、IoTで全ての人とモノがつながり、さまざまな知識や情報が共有され、今までにない新たな価値を生み出す」と言う。ビッグデータ、AIが可能にする社会は個別に見れば、確かに内閣府がいう社会に向かっているように見える。
私は、これまで著作権という情報を保護する仕事に関わりながら、情報の意味について考え続けてきた。情報には、著作物や商標や特許など法で保護される無体財産もあれば、法益は重なったり異なったりするが個人情報や営業秘密やビッグデータといったものもある。
では、価値がある情報とは何か。
ダウンロード違法化の対象は、なぜ有償著作物だけなのかという問題意識もある。無償の著作物だって文化的な価値はあるし、有償物に負けないだけの経済的価値を持つ場合もあるはずだ。
梅棹忠夫の情報産業論によると、情報産業時代の最大の価格決定原理は、売り手と買い手の格で決まるお布施方式だと言う。それは、社会的、公共的性格を相互に認め合う経済であると。では、Society5.0が実現すれば、情報の価値といった問題など考えずに、社会的、公共的性格を認め合いながら暮らせる社会になるのだろうか。
いずれにしてもSociety5.0を実現するのは、情報産業に従事する企業や人が開発するシステムだろう。つまり、BCNの読者は、情報の意味であったり、それが持つ価値について深く考えておく必要があるのではないだろうか。
一般社団法人 コンピュータソフトウェア 著作権協会 専務理事 久保田 裕

久保田 裕(くぼた ゆたか)
1956年生まれ。山口大学特命教授。文化審議会著作権分科会臨時委員、同分科会国際小委員会専門委員、特定非営利活動法人全国視覚障害者情報提供施設協会理事、(株)サーティファイ著作権検定委員会委員長、特定非営利活動法人ブロードバンドスクール協会情報モラル担当理事などを務める。主な著書に「情報モラル宣言」(ダイヤモンド社)、「人生を棒に振る スマホ・ネットトラブル」(共著、双葉社)がある。