▼今から10年ほど前、あるパソコンメーカーがテレビとパソコンをミックスする技術のプレゼンテーションを行った。現在のデータ放送に近い形態で、ゴルフ中継番組にデータを組み合わせ、各選手のスコアや戦歴を見ながら番組を楽しめる。競合他社に先んじて、パソコンとテレビの融合する方向性を示すことができたそのメーカーの社長は誇らしげにその技術をアピールした。確かにそれまでになかった新しい可能性は示されていたことは間違いない。

▼だが、会場でプレゼンテーションを見ていた人がその技術をぜひ使ってみたいという気持ちになったかどうかは怪しい。会場の反応は冷ややかだったからだ。冷ややかにプレゼンテーションを見ていた会場にいた人々の気持ちを代弁するように、ゲストの1人として招かれていたコピーライターの糸井重里氏がこんな発言をした。「僕たちはこれまででさえ、情報があふれすぎているんです。テレビにこんなに情報が付加されたら、疲れませんか」

▼新しい可能性をもった技術に否定的にはなりたくない。だが、「素晴らしい技術だとは思う。でも、ここまでは必要ない」と感じるものも少なくない。インターネットブームで次々に誕生し消えていったサービスの多くが、「素晴らしい。でも、ここまでやってもらうと逆に疲れる」というものだった。逆に、疲れを感じずに済む技術はきちんと生き残っている。コンシューマ向けの商品はもちろん、企業向けの新技術でも同様である。素晴らしい技術であっても、疲れると感じてしまうものは活用されない。新しい技術、そしてそれを利用するアプリケーションに対しては、ユーザーの視点で疲れてしまうものか否かを問いかけることが必要ではないか。