旅の蜃気楼

魚津の蜃気楼

2003/03/17 15:38

週刊BCN 2003年03月17日vol.982掲載

▼金沢から特急はくたかに乗って、黒部駅で下車した。3月11日の昼は粉雪が舞い散っていた。前夜、会食したアイ・オー・データ機器の細野昭雄社長の元気な顔を思い浮かべながら、車窓に目をやった。右手には3000メートルの山並みが続いている。が、その日はガスの中で山すそしか見えない。とても残念だ。でも、左手には鉛色の雲が立ち込めた日本海。波頭が激しく荒れる大海原。冬の日本海って激しいな。あの激しさは、「力」の塊だ。そうだ。せっかくだから、「旅の蜃気楼」のルーツとなった魚津の蜃気楼を見に行こう。BCN読者のハイテックス・下坂芳宏社長に道案内をお願いした。

▼魚津の蜃気楼はいつも見えるわけではない。昼食をとった地元のすし屋の店主は「お客さんの中には蜃気楼はいつも見えると思っている人がいるんですよ。時々なんだよ。冬がいいね」。春と冬の晴天で気温が高く北より微風が吹く日に現れやすいという。しかし、ほとんどの人は見た事がない。「なぜなら、蜃気楼が出るのは昼。その時間は皆、仕事をしているから、見てる人は仕事をしていない年金生活の人か、役場の広報担当ぐらい」と、大笑い。それほど見るのに苦労するらしい。が、見えることは確かである。遠くに見える能登半島の付け根あたりにある工場の煙突(=写真)の背がのっぽになって見えたり、船が逆さに見えたりする。

▼下坂さんはいう。「子供の頃から見えていましたよ。蜃気楼とはいっていませんでしたがね。地元の人で長年、この蜃気楼を写真に取り続けている人もいますよ」。「町おこしにはいい材料ですね」。「その時期になると、蜃気楼が見える海岸線に沿った道には車が並び、暖かい日には皆さん日向ぼっこをしながら蜃気楼が出るのを待っていますよ」。蜃気楼は実像があってその反対側に虚像ができると解説してある。ということは、すべてが、ないわけではないんだ。細野さんの元気そうな顔を思い浮かべながら、あの余裕は実体を元にした蜃気楼なんだ。と考えながら、どか雪景色の越後湯沢で上越新幹線に乗り換えた。(本郷発・笠間 直)
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