旅-経営者の目線-

<旅-経営者の目線->37.ヨーロッパの旅 V-(5)むすび

2003/09/22 15:27

週刊BCN 2003年09月22日vol.1007掲載

 1970年から95年にかけてヨーロッパ各地を旅して、シャンゼリゼ通りを始めとして、わが国と大きく違う市街と見事な道路にカルチャーショックを受けた。

 古くから建設され蓄積された西欧文化の素顔を見聞して、深く啓蒙されることが多かった。石の文化と木の文化の違いとはいえ、築後何百年も経った芸術的な中層の建物が林立している市街地に、今も住み続けているのに驚き感動した。

 それに比べて、わが国は城と神社仏閣を除いて、官公庁なども100年どころか、50-60年位で建て替えている。そして木造2階建ての中山道妻籠宿や各地の武家屋敷、蔵屋敷などが申し訳のように残っているだけだ。

 特に道路の格差が酷い。わが国には人馬共用の発想から長い間歩道がなかった。維新後の文明開化後も、震災と戦災という2度の機会がありながら、東京の市街も道路も、何百年前の西欧のレベルに遠く及ばない。総じて道路が狭すぎる。車は走り続けるだけという考えから路上駐車の必要性を全く考慮せず、片側1車線や2車線で充分と考えてきた。

 その上、緑の街路樹がなかったり、あっても貧弱で、人々から公道を散策したり、舗道で憩う楽しみを奪っている。江戸時代初期に、東海道や中山道に見事な松並木を植えた、そんな先人に恥ずかしい。

 しかし、そんな中にも、いくつか私の好きな道路がある。東京の神宮絵画館前や大阪の御堂筋には4列の見事な銀杏並木があり、仙台定禅寺通りにも4列の欅並木がある。その他神宮表参道や、福岡の大博通りなど、広く緑豊かな道路も少なくない。問題は東京の道路である。広い昭和通りは、これといった街路樹がなく、余りにも風情がない。

 今年2月、我が社にとって待望の新本社ビルが竣工した。長年の夢だっただけに、できる限り私の希望を実現させた。

 飯田橋地区再開発は千代田区と官民共同で行い、人と自然に優しい「新しい街区」を目指して、メタセコイヤやマロニエなどの大樹を数多く植樹し、広く長い並木道を作った。東側は日本橋川に沿って、桜並木の通りができた。

 新本社ビルは、省エネ・省資源と地震・高潮などの災害対策を重視し、100年後にも先進的な高機能ビルであり続けることを考えて、時流の変化に対応できるように工夫した。西欧各都市の美点に学んで、ビジネスと居心地、住み心地を両立させた、そんな緑豊かな街区を創ることができた。

 ヨーロッパの旅で、私は啓蒙され、開眼させられた。その結果、都市や道路に対する考え方や、人生観までも変わってしまったように思う。
(新本社ビルに関しての詳細はhttp://www.otsuka-shokai.co.jp/social/
  • 1