旅-経営者の目線-

<旅-経営者の目線->60.台湾の旅-(2)続 珊瑚潭・高砂族鎮魂碑

2004/05/31 15:27

週刊BCN 2004年05月31日vol.1041掲載

 珊瑚譚の完成によって不毛の嘉南平野が美田に変わった。その後1931年、工事に参加した人々の発意と拠金によって、珊瑚譚のほとりに銅像が建てられた。

 八田與一は戦時中、政府の命でフィリピンに向かう途中潜水艦に撃沈され、遺骨は台湾にいる家族のもとに送られた。その3年後、敗戦によって、日本人の内地総引揚げが決まり、八田夫人は奇しくも建設着工の日である9月1日の未明に、ダム放水口の渦巻く水の中に身を投じ夫の後を追った。その後銅像の後ろに夫妻の墓が建てられ、5月8日の命日には地元の人々が今も盛大な追悼式を催している。

 多年この先人の偉業とそのお墓をお参りしたいと想い続けていただけに、日本から持参の線香を上げ花を手向けて、その銅像を拝んだ喜びと感激は到底筆舌に尽くせない。壮大な珊瑚潭を眺め、その堤防を歩いたことは生涯忘れられないだろう。

 高砂族鎮魂碑。その翌日、台北郊外の烏来を訪れ、第二次大戦に義勇軍として戦って死んだ高砂族志願兵の鎮魂碑の前に持参の線香と花束を供え、霊安かれと感謝の心をこめて祈った。父が靖国神社に祀られているという婦人が明るく迎えてくれた。100人出征して帰還したのは僅か2人だったという。

 20年前から「靖国神社の桜の花の下で同期の桜を歌う会」というのがあって、大村益次郎の銅像の前で、毎年4月の第1土曜日午後3時に何百人という人が集まり、声を揃えて軍歌を歌う。私も亡き戦友を想って溢れる涙と共に歌い続けてきた。そこに毎年台湾の元日本兵達が多数参加している。それだけに、いつかは高砂族の鎮魂碑にお参りしたいと想っていた。今回漸くその望みが叶えられ嬉しかった。
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