旅-経営者の目線-

<旅-経営者の目線->80.おわら風の盆と飛騨の旅-(1)2年続けて失望

2004/10/25 15:27

週刊BCN 2004年10月25日vol.1061掲載

 越中八尾は浄土真宗の古刹の聞名寺の門前町で、古くから養蚕製糸と和紙作りが盛んだった。富山湾や富山平野と、飛騨高山や信州松本地方を結ぶ通称ブリ街道といわれる道路に面していて、交易の拠点としても賑わい、富山藩の財政を支える繁栄を極めていた。清流井田川沿いに高く石垣で礎いた坂の町で、伝統の夏祭り“おわら風の盆”は最近特に有名になっている。

 私は、音に聞くその“おわら風の盆”を観たいと思って過去2回八尾の町を訪れた。最初は友人の案内で2001年8月30日の前夜祭だった。生憎の豪雨で中止となり、代わりに宿泊したホテルで、編笠姿の若い男女6人による出前おわら踊りを観賞した。哀愁を帯びた甲高い声で切々と唱う歌唱と、三味線、胡弓のじょうじょうたる音色に合わせて、踊り手達がゆるやかに踊る。男は濃紺の法被姿で男らしく直線的に踊り、女は色鮮やかな浴衣姿で情緒たっぷりに美しく艶やかに踊る。それは踊りというよりも舞に近い。会場に難はあったが、おわら踊りの魅力は十分理解できた。それだけに本物の“町流し”を観たいという想いが募り、とりあえずビデオと写真集を買い求めた。

 そして翌年、富山に前泊して本番の9月1日昼に再訪した。天気は上々、その夜に期待が高まる。街角で若い男女が踊り出し、たちまち観光客が群がった。その夜は予約していた特設おわら競演場で、座席から11町の“おわら舞台踊り”の競演を観賞した。各町が独自の衣装を着て次々に舞台で優雅に踊り、哀調を帯びた音曲が会場に流れて観客は酔いしれていた。

 しかし期待の“町流し”は13万人という物凄い混雑で遂に観ることができなかった。
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