旅-経営者の目線-
<旅-経営者の目線->83.関門海峡-(1)門司港
2004/11/15 15:27
週刊BCN 2004年11月15日vol.1064掲載
2004年6月に門司、9月に下関を訪ねた。どちらも狭い海峡を挟んで、源平合戦から幕末維新の時代、その後も戦中戦後の一時期まで歴史を飾る繁栄を誇った港湾都市である。また敗色濃い中で昭和19年(1944年)10月26日の夕刻、戦地に向かう輸送船上から遠ざかる門司港を万感の想いで眺めていた、私にとって忘れ得ない港である。
平家が最後の宴を開いたという和布刈(めかり)神社から壇ノ浦古戦場を望むと、右遠くに源氏の根拠地のあった辺りの満珠島、千珠島が見え、左に遠く巌流島越しに平家の根拠地彦島が見えた。潮の流れは速く、黒く渦巻いていた。
小倉城は名将細川忠興の築城であり、細川氏の熊本転封後は小笠原藩となり、第2次幕長戦争では長州奇兵隊の近代戦法に敗れて占拠された。その後小笠原藩は近代化に目覚めて薩長側につくという歴史の転換があった。
門司港レトロ地区を散策した。日本の代表的な輸出入港だった往時の繁栄ぶりを目の当たりにして、今昔の感を深くした。かつて我々の軍用列車が到着した門司港駅は昔のままで変わりなく、キャンプして船待ちしていた三角山麓も見覚えのある山容を残していた。1912年建築で赤煉瓦の旧門司税関や大陸航路の待合室として多くの旅人で賑わっていた旧大阪商船などを見て回り、格式高い旧門司三井倶楽部のレストランで当時からの名物ハヤシライスを食した。その後再び門司港の埠頭に立ち、暫く関門橋や対岸の景色を眺めた後、巌流島や下関への再訪を期して門司港を後にした。
2004年6月に門司、9月に下関を訪ねた。どちらも狭い海峡を挟んで、源平合戦から幕末維新の時代、その後も戦中戦後の一時期まで歴史を飾る繁栄を誇った港湾都市である。また敗色濃い中で昭和19年(1944年)10月26日の夕刻、戦地に向かう輸送船上から遠ざかる門司港を万感の想いで眺めていた、私にとって忘れ得ない港である。
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