旅-経営者の目線-

<旅-経営者の目線->100.南オセアニアの旅-(3)パラオ共和国2

2005/05/23 15:27

週刊BCN 2005年05月23日vol.1089掲載

 3日で終ると考えていた米軍は、8500人の戦死者と多数の負傷者を出すという予想外の損害を出してようやく終結した。

 島民を避難、投降させ、数倍の米軍を相手にして、2か月以上も戦って玉砕した壮絶な戦いぶりに、ニミッツ提督も賞讃の辞を残している(碑文があった)。島民も崇高な敢闘精神に対して敬愛の想いが強く、非常に親日的である。独立後に国旗を日の丸に似た青地に黄丸と定め、日系2世が初代大統領になった。島内各地に戦跡が残っており、未だに収集されない遺骨も多く眠っているという。

 私達はまず鎮魂の慰霊碑に詣で、用意の生花を供え線香をあげて心からの冥福を祈った。圧倒的な武器弾薬の量と兵力差の敵に対して、孤軍奮闘して死んだ将兵達の悲運と無念を想って、やり場のない衰感が胸にこみあげてきた。日本の現在の繁栄を想うと死んだ者が哀れでならない。

 その後、レッドビーチを始めとして、日本軍の戦車や大砲、洞窟や海軍司令部跡など荒れ果てた戦跡を見て回った。間近かにアンガウル島が見えていた。“国破れて山河あり”の感を新たにした。

 モーターボートはウーロン島やセブンティアイランド、ロックアイランドなどの間を往復の航路を変えて走ってくれた。海はその深さ浅さによって、コバルトブルーやエメラルドグリーンなど様々に色を変え、その美しさは言葉に尽せない。そのうえわずか10数分の猛烈なスコールに見舞われるなど、貴重な熱帯の体験をした。

 首都のあるコロール島とパプア諸島最大のバベルダオブ島の間に、日本の政府開発援助(ODA)によって大きな「友好の橋」が造られていた。親日的で美しいこの国に心を残しながら、24日17時次のマダンに向って出航した。
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