▼「日本の教育は歴史を繰り返す」と、ある教育学者が言う。安倍首相は「教育再生」を旗印に「学力向上」を進め、「知識偏重」へと舵を切ろうとしている。かつて「偏差値で人間の価値が決まる」弊害から脱却するため、今の「ゆとり教育」が生まれた。偏差値偏重の反省に立っての教育改革ならば、安易に路線を変更できないはずだ。

▼誰もが疑問を抱いた経験があるだろう。数学の「微分・積分」はいつ役立つのか、と。数学を使う仕事を目指す子供ならともかく、大多数はテストの点数を取るため「しかたなく」やっているのが実際であろう。

▼これを見直すため、ゆとり教育の課程で登場したのが、小学校低学年の「生活科」と「総合学科」。それ以前の教育課程では、「合科」として取り組んでいたのを発展させたものだ。社会科の授業で工場を見学したとしよう。工場の敷地面積を算数で計算し、生産量を面積で割ってみて、他の工場との生産性の違いを導き出す──といった学習方法だ。これならば、子供は教科の枠を意識せずに「学習意欲」をもつだろう。

▼日本が「世界の工場」だった時代の教育では、生産ラインで着実に仕事をこなす人材の育成を求められた。今は違う。例えばSIerの人材を考えてみよう。企業にITを導入して、生産性や効率性を単に「1+1=2」にするのでなく、「3」や「4」に高める創造力が必要だ。「知識」詰め込み教育の復活は、IT業界の人材不足をより深刻化させるように思えてならない。