旅の蜃気楼

「イスラームの世界」を漂う

2007/11/05 15:38

週刊BCN 2007年11月05日vol.1210掲載

【本郷発】都内、花屋の店先にハロウィンで使う、顔の形にくりぬいた黄色いカボチャが出回るようになった。仮装した子どもたちがローソクを立てたカボチャを持って町の家々を訪ねるハロウィンは、10月31日だ。ハロウィンを初めて体験したのは、23年前のサンフランシスコだった。気味の悪い異文化の祭りだな、と感じたほど、馴染みのない行事だった。それはさておき、ハロウィンは日常生活に浸透し始めている。いずれはクリスマスのように日本に根付くのだろうか。

▼祭りには宗教色の濃いものが多い。クリスマスはまさに宗教そのものだ。こんなことがあった。2000年の暮れだったと記憶している。ユダヤ人の友人に「今年のクリスマスは誰と過ごすの?」と聞いたところ、目をつり上げて、「僕はユダヤ人ですよ。祝うわけないでしょう」という返事が返ってきた。日頃穏やかな人なだけに強い口調に驚いた。まったく不勉強だった。ユダヤ人は“ハヌカー”という祭りを祝うのだ。

▼宗教の人口は、キリスト教が19億人。イスラム教が11億人だ。世界の二大宗教なのに、イスラム文化に関する知識といえば、砂漠とらくだ、星空と三日月、半月刀に魔法のランプ、千夜一夜物語にベリーダンスといった程度。なんと貧弱な知識だろうか。ユダヤ人の友人とのやりとりをきっかけにして、イスラム文化の知識を豊富に仕入れてみようと思い、翌年の1月1日からイスラム文化を追い求め始めた。

▼7年も経つと、モスリムの友人が増えた。友人の多くは戒律を守る人が多く、日常生活で聞けないことが多いのが不便だと感じていた。不完全燃焼の状態でいたところ、『神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く』(石井光太著、新潮社刊)を書店の棚で見かけて手に入れた。一気読みだ。読み進むうちに、これは民俗学者・宮本常一の世界だと思った。日本中の田舎町を歩いて、日常の生活を聞き歩いた人だ。この好奇心の固まりは人の社会性を掘り当てている。著者の石井さんは前書きに書いている。「イスラームの国で、男と女はどのように裸体を絡ませ合っているのだろう」。彼は旅を続けながらタブーをひもといていく。イスラム文化圏で起きている戦のなれの果てを、文章の実写でえぐり出している。報道写真家ロバート・キャパの世界がこの本にすり込まれている気がする。読後の余りの切なさに、「旅の蜃気楼」に綴ってみた。現実はいくつもある。(BCN社長 奥田喜久男)
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