旅の蜃気楼

田辺聖子さんと“お酒”の味

2008/03/24 15:38

週刊BCN 2008年03月24日vol.1228掲載

【本郷発】山の上ホテルのステーキハウスに足を向けて地下1階の廊下を歩いていたときのことだ。角を曲がったとたん、お年を召した女性とぶつかりそうになった。あまりに小柄で、跳ね飛ばしそうに感じたものだから、思わず身をよけた。ありゃ、どこかで見覚えのある人だな。なんと、作家の田辺聖子さんだった。話すと面白そうな人だな、と思った。その後、気になって、田辺さんの原稿があると、楽しみに目を通した。なかでも“お酒”をテーマにした雑誌のエッセイがお気に入りだ。読み通すうちに、湯気がたつ燗酒が頭に浮かび、その匂いがツーンと鼻を突くもんだから、一度やめていた“お酒”を時折、なめるようになった。

▼“お酒”とは日本酒のことを指す。純米酒がおいしいと思っていた。飲み進むうちに、徐々に舌が肥えてきて、『十四代』という銘柄に行き着いた。今はこの“お酒”がうまいと思っている。量はあまり飲めないので、いつもお酒を注文するときには、「一番高いお酒を1本」といって注文するものだから、『十四代』に出会ったしだいだ。“お酒”は一人で飲むのも美味しいが、仲間と一緒に飲むに限る。一人で飲みに行っても、飲み屋の常連ともなると、常連の仲間ができて、それがまた楽しいのだ。

▼大塚の『江戸一』。この店はお気に入りの筆頭だ。BCNの『視点』の筆者を長く務めていただいている大野郎さんとこの店で出会って、26年になる。私は10年の間“お酒”を断っていたが大野さんは現役を続けている。人づてに浅草の『松風』が店をたたむと聞いたので、出かけた。お店はなんだか、寂しげだった。人の集まるべき場所に人が少なくなると、火が消えたようで寂しい。湯島の『シンスケ』は『両関』を正一合で飲ます店だ。16年ぶりに出かけた。トイレに立ったら顔見知りとばったり。久しぶりだった。“お酒”は仲間を呼ぶとみえて、なんとも奇遇である。30年ぶりの友人と、腹蔵なく杯を交わすことができた。その日は大いに飲んだ。翌日は身体が痺れていてつらかった。でも心はうきうきだ。“お酒”と縒りを戻してくれた田辺聖子さんに感謝である。(BCN社長・奥田喜久男)
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