旅の蜃気楼

三人の意はいつまでも一緒

2010/02/18 15:38

週刊BCN 2010年02月15日vol.1321掲載

【2月6日、奈良の吉野山にて記す】三途の川はどこにありますか。こっち側より、あっち側のほうが楽しそうだ。そう呟きながら、この原稿を書いている。“三”という数字は事を決する時には、必要最低限の大切な固まりだ。29年前のBCNの創業以来、“三人”の固まりを常に保ちながら事業を進めてきた。業界の皆さんに大変お世話になったBCN役員の吉若徹と田中繁廣は、そうした大切な仲間だった。奥田、田中、吉若の三人は四半世紀にわたって、BCNに身を置きながら、IT業界に情報を発信し続けてきた。ところが、田中は昨年7月4日に心不全で、吉若はつい先日の2月3日に食道ガンで、さっさっと旅立ってしまった。「なんて奴らなんだ」と、お腹の底では本心でそう思っている。だって、人生の中で、これほど長く深く、心のキャッチボールをした人はいないからだ。お互いの考え方、行動力を信じて、一緒に活動してきた。悲しいというより、“寂しい”というのが素直な気持ちだ。

▼先に旅立った“シゲ”の嬉しそうな顔が、瞼に浮かんでは消える。“若”は、もうそろそろ、三途の川を渡る頃かしら。最初に、“若”に出会ったのは共通の友人の紹介だ。もう、27年前になる。当時はパソコン産業の黎明期だ。BCNのスタッフは5人。「一緒に仕事をしないか」と誘った。「やりましょう。ただし、1年後にお願いします。いま働いている会社の仕事をきちんと引き継いでから、必ず合流します」と言いながら、“若”は自分の首に巻いていた黒いマフラーを取って、私の首に巻いてくれた。温かかった。その1年後から2010年2月3日、午後8時53分まで一緒に仕事をした。

▼その日の昼に、危篤の連絡をもらった。病院へ急いだ。ベッドの脇から声を掛けた。間もなくして、重い瞼があいた。声の方角を探して、アイコンタクトをした。闘っている目だ。「若さん、ありがとう」。BCNの営業の地盤を整えた“若”と編集の基礎を打ち立てた“シゲ”。二人とも会社の枠を超えて、業界の発展に貢献した人物だと、誇りに思っている。不思議なことに、この二人は同じ日に生まれている。「いつまでも一緒だ」。(BCN社長・奥田喜久男)

昨年3月16日号の本欄では、彼の職場復帰を喜ぶ記事を書いたのに…。残念。
  • 1

関連記事

オリオンになった大切な仲間

おかえりなさい!大切な仲間