科学的分析にも「正しさ」の限界がある

 養老孟司氏「壁シリーズ」の最新刊。自身の入院、新型コロナウイルスのパンデミックを経験したこの2年ほどの思考をまとめたエッセイだ。
 

 「データやファクトに基づいた科学的判断」というものの価値が、新型コロナ禍で改めてクローズアップされた。それ自体は決して悪いことではないが、科学的判断の立脚点は一つではなく、そこが違えば議論はなかなか噛み合わない。

 ウイルスにとっての人体は、ヒトにとっての地球以上の大きさになるという。ウイルスの構造を調べる目線と、人間の社会構造を分析する目線には大きな距離がある。「世界をできるだけ正確に、『科学的に』見ようとすることはできる。しかしそれは常に部分に留まる。なぜなら部分を正確に把握すると、全体はいわばその分だけ、膨張するからである」という指摘は示唆に富む。ミクロの視点で秩序を整えることがマクロ視点でのカオスを生む場合もある。狭い視野で秩序に拘る不寛容さが社会を不健康にすることは、コロナ禍がもたらした大きな教訓だ。

 アマゾンの密林には、疫病を避けるためにいまだに外部との接触を断って放浪している部族がいるというエピソードを紹介しながら「参考になりますね」と言い放つ毒に、ニヤリとしてしまう。(霹)


『ヒトの壁』
養老孟司 著
新潮社 刊 858円(税込)