今日は何の日
<今日は何の日>9月19日「正岡子規永眠(1902年)」
2025/09/15 09:00
週刊BCN 2025年09月15日vol.2075掲載
短く壮絶な生涯、文学の新潮流を生む
慶応3年(1867年)、現在の松山市で藩士の父と儒学者の娘だった母のもとに生まれた正岡子規(本名・常規)。中学を退学して明治16年に上京。当初は政治家志望だったが、後に文学を志し、22歳で喀血してから「子規」と号した。大学を中退して勤めた日本新聞社で、「写生」を重んじて俳句や短歌の革新を訴えた。28年に日清戦争の従軍記者として戦地に赴き、帰国途中の船中で激しく喀血。入院と療養後は、帰京の直前まで松山の俳句結社を指導していた。帰京以降はカリエスのため壮絶な闘病生活を送り、ほとんど病床で過ごしたが、死の直前まで随筆「病牀六尺」を発表し続けていた。34歳11カ月の短い生涯で、俳句や短歌だけでなく小説、漢詩、随筆、書画、俳句分類など膨大な作品を残した。
少年の頃からの友人に、海軍中将の秋山真之らがいる。上京してからは野球に夢中になり、故郷に野球を持ち込んだのも子規だという。仲間に恵まれ、若き日をのびのびと過ごしていたのだろうと想像できる。子規の文学は新しい潮流を生み出し、松山市は観光施設など約80カ所以上に誰でも自由に投句できるポストが設置されるなど、今も俳句が盛んな土地だ。(実)

由来
1902(明治35)年9月19日、俳人・歌人の正岡子規が脊椎カリエスのため亡くなった。
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