受話器の向こうに仕事があった
公衆電話を最後に使ったのは、いつだっただろうか。携帯電話を持つようになってから、駅や街角で見かけても、受話器を手に取る機会はなくなった。
新聞記者になりたての約30年前、公衆電話は仕事に欠かせない道具だった。ポケットベルが鳴り、メッセージに「1」と表示される。それは「支局にすぐ電話しろ」という合図だった。公衆電話を探して支局にかけると、たいていはデスクからの無理難題か、急な事件の連絡。あまりありがたい呼び出しではなかった。
事件が起きていないか警察署に電話をかける「警戒電話」も、新人記者の仕事だった。朝、昼、夕の3回、10署ほどに電話をする。夏の暑い日、電話ボックスの中で汗をかきながら受話器を握ったことを思い出す。
小銭を多く持つのも基本だった。同業他社に使わせまいと、10円玉を積み上げて長電話したことを、武勇伝のように語る先輩もいた。今なら笑い話だが、当時はそれだけ公衆電話が現場の生命線だった。
いま、連絡手段は携帯電話、スマートフォンになった。それでも災害時など、携帯電話がつながりにくい場面で、公衆電話は重要な通信手段になる。普段は忘れていても、いざというときに人をつなぐ。街の片隅に残る受話器は、通信インフラの重みを伝えている。(洛)
由来
1900年9月11日、東京・新橋駅と上野駅の構内に、日本で初めて公衆電話が設けられたことにちなむ。当時は「自動電話」と呼ばれ、交換手を呼び出してからお金を入れ、相手につないでもらう仕組みだった。