2001年度から5年間にわたって展開されたe-Japanプロジェクトは、今年3月末で幕を閉じる。その成果についてはさまざまな評価があるだろうが、第2次大戦後60年におよぶ政治・経済・社会の制度疲弊、少子高齢化社会への備え、産業構造の転換など、「改革」の実効は06年度以後の動きに委ねられている。公共分野の電子化に投入された巨額の予算は、IT産業にとって「追い風」になったことは確かだろう。92年以後に起こった経済環境の変化と目まぐるしい技術革新に、IT産業、なかんずくソフト/サービス業は大きく揺れ動いた。そうしたなかでe-Japanプロジェクトはどのような意味を持ち、何を生み出したのか。(佃均(ジャーナリスト)●取材/文)
「ITでコスト削減」発想が生んだ誤解
オープン化と地域振興は結びつかず
本紙1面の「業界天気図」にならって例えれば、IT産業にとってのe-Japanプロジェクトの評価は「曇りのち薄日、ところにより雨」という全天候型。大きな期待を集めた電子行政システムは、官の理論が先行してシステムインテグレータ(SIer)を圧迫したきらいがある。旧来の枠組みの中にあるSIerにとっては「利益なき繁忙」「骨折り損のくたびれもうけ」に近いが、行政組織の枠組み自体を揺さぶったという点で光陰は相半ばする。
■通信インフラは目標達成 e-Japan基本戦略に掲げられた目標「05年度に世界最先端のIT国家」は、通信インフラに限れば達成されたように見える。総務省によると、加入者系光ファイバー網のカバー率は全国平均で80%を超え、00年度末における国内のインターネット利用者数は4700万人だったが、05年度は8720万人(推定)と1.85倍に増加した。ブロードバンド化率は21%、データ伝送量100kbps当りの総コストは7.2円(04年9月末現在)と、いずれも世界一。
その要因は通信事業分野の規制緩和と競争原理の導入にある。ブロードバンド市場における既存事業者と新規参入事業者のシェアを見ると、日本は37対63で、世界のどの国・地域より自由競争が実現している。このインフラを、産業の国際競争力強化にどう活かしていくかが今後の焦点になる。
■ネットビジネスを創出 ブロードバンド化率の上昇に呼応するかたちで誕生したのは、「ネットビジネス」だった。ADSLの普及や電子商取引関連法制度の整備によって、ポータル化したWebサイトを通じてさまざまな物品やサービスを購入することが珍しくなくなった。
98年に650億円に過ぎなかったBtoCの電子商取引は、04年度末に86倍の5兆6000億円に膨れ上がった。東京証券取引所の売買システムは、インターネットを利用した個人のデイ・トレーダーの急増によって窮地に追い込まれ、ライブドアや楽天など新興企業が既存の放送メディアに触手を伸ばす事態が生まれている。
対面型からネット型へ、という取引形態の変化ばかりでなく、商法、会社法、上場基準等の見直し、電子文書法の施行とサーベンス・オックスレイ(SOX)法への準拠、国際会計基準への対応など、個々の企業も自己変革に踏み出さざるを得ない。自らネットビジネスに乗り出す新しい戦略が欠かせなくなってきた。
■ITはコストカッターか 楽天、ライブドア、ヤフー、グーグル、アマゾンといった企業を「ITサービス」業に分類するべきか、「ITのユーザー」と定義すべきかは意見が分かれるが、「広義のIT産業」であることは否めない。その延長線上にあるのは、『IT産業の枠組み』を見直すべきである、という議論である。ハードウェアの製造と販売、計算事務、ソフト開発、情報システム運用管理、ネットワーク・サービスといった従来の枠組みが崩れつつある。
e-Japanプロジェクトの目標の1つである「産業構造と就労構造の変革」は、IT産業に限らず、さまざまな産業分野で起こっている。ITを横軸にこれまでの業種・業態の垣根が低くなれば、旧来の「業務提携」の概念を越えたコラボレーション(ビジネスの協業・協創)が活発になるのは当然だし、宅配便のようにトラック運送業がサービス業に転換することも起こってくる。
「IT化によるコスト削減」は必ずしも的を射ていない。e-Japanプロジェクトに刺激された民間IT投資は、売上原価の削減に動いたが、本来あるべきは第1に販売管理費の圧縮、第2に業務プロセスの簡素化、第3に新しいビジネス領域の開拓のはずだった。
01年度から今日まで民間のIT投資は、「コストカッター」を指向した。生産のオフショア化とIT化が同列で論じられ、より高度なサービスや品質の保証に結びつかなかった。e-Japan基本戦略の重点が行政や医療、教育といった公共分野に置かれ、民間を含めた総社会コストの視野が欠如していたためだ。
■オープン化の先に見えたもの 総社会コストの視点がまったくなかったわけではない。「レガシーからオープンへ」「地域IT産業の振興」が標榜されたのは、実効に疑問はあるにせよ、長期的な社会・産業資源の再配置を企図したものといえる。「レガシーからオープンへ」は、旧メインフレーム/オフコンをベースとするシステムの見直しを加速させたが、「オープン化で地域のIT産業に参入機会を与えることができる」という考え方は机上の空論に近い。
いくつかの実例を通じて見えてきたのは、「オープン化=地域IT産業の振興」という方程式が成り立つのは、大規模なシステム構築分野ではなく、プロダクトをベースとする小規模でローカルなアプリケーションだということである。そのような成功例は、地域IT産業ないしITにかかわる個人が草の根的に結びついた結果として顕在化している。
その意味で注目されるのがオープンソース・ソフトウェア(OSS)だ。いまだに誤解が残るものの、OSSを活用したビジネスモデルが地域で離陸しつつある。それは既存の事業体や地域の枠を越え、個人と個人がネットワークで結びつき、情報を共有することからスタートしている。e-Japanプロジェクトがもたらした最大の効果は、多くの人々が「何ごとも人材」ということに気づいたことかもしれない。