参入障壁の高い領域に挑む。よほどの勝算と覚悟がなければ、投資の回収は望めない。国内の会計事務所は、大小合わせて全国に約3万2500事務所が存在する。その8割には、TKC、日本デジタル研究所(JDL)、ミロク情報サービス(MJS)の上位3社の会計事務所向け専用機やシステムが入っている。新規参入して新しいシステムに覆すのは容易なことではない。“ホワイトマーケット”は、ほとんど残っていない状況だが、2009年6月、この領域に果敢に挑んだのが、アカウンティング・サース・ジャパン(A-SaaS)だ。(取材・文/谷畑良胤)
会計事務所には、会計処理に最適なシステムで、45年余の歴史をもつ会計専用機が入っている。上位3社は、長い歴史のなかで囲い込みを行い、安定した経営を続ける。ほとんど参入余地がないようにみえる。しかし、ITの歴史はオフコンからクライアント・サーバー(C/S)型に移行し、今はクラウドコンピューティングが業界を様変わりさせようとしている。
A-SaaS社長の森崎利直は、JDLの役員として同社の事業拡大に奔走していた。それ以前は、イタリアのタイプライター会社であるオリベッティに在籍し、TKCが会計事務所向けに提供するシステムの支援を行った。森崎は現在の状況をオリベッティ時代になぞらえて、こう語る。「SaaS登場の衝撃は、TKCの仕事をやっていた頃やパソコンが生まれた25年前のできごとよりも大きい。大きな転機が訪れている」。
JDLで会計事務所の専用機を提供しながら、森崎はある種のもどかしさを感じていた。「会計事務所のシステムを革新して、そこに会計処理を委託する顧問先の中小企業を元気にしなければ、根本的な解決にならない」と。中小企業の多くは、会計処理を会計事務所に“丸投げ”する。紙ベースの伝票は処理に時間を要し、その処理だけに忙殺される会計事務所。「本来、会計事務所は企業経営に財務の面から深く関与すべきだ」と森崎は考えていた。


A-SaaSの森崎利直社長は、自らのビジネスモデルの強みを社内に周知徹底している 専用機は高額だ。顧問先企業にも会計ソフトウェアなど高額なシステム投資が発生する。中小企業の会計処理は、クラウドが普及した今も、世の中の流れから取り残されている。経済産業省が09年3月に開始した中小企業向けSaaS活用基盤整備事業「J-SaaS」は、自計化(ITを使って自社で財務処理をすること)ができない状態を見直すことを目的としていたが、会計事務所などの「士業」の実状を知らずに進めたために失敗に終わる。
A-SaaSは、中小企業の自計化を促して企業を活性化する目的はJ-SaaSと同じだが、ビジネスモデルが異なる。森崎は「45年余にわたる会計事務所向けシステム開発の歴史をいったん白紙の状態から見直して、SaaSを使った利用者のニーズに沿った実務指向で使いやすいシステム開発を目指す」と、一念発起してJDLを飛び出した。
とはいえ、参入障壁の高い領域を攻略しようとしても、もくろみ通り進まないのが常だ。当初からSaaSを念頭に置いて開発しようとしていたわけではない。「顧客満足度が高く、先駆的なシステムにするためには、オープンソースをいかに活用するかにかかっていた」と森崎は述懐する。
だが、どう見積もっても初期開発投資は20億円近くに達する。オープンソースに長けた技術者も揃える必要がある。事業立ち上げの初期段階で壁に当たった頃、米シリコンバレーで日系IT企業の開発を支援するコミュニティに出会う。「総開発費は半分の10億円ですむ」。プラットフォームとしてSaaSを選択し、ようやく開発が軌道に乗った。[敬称略]