米IBMは2月12日からの4日間、サンフランシスコで年次イベント「Think 2019」を開催した。今年のThinkで最大のテーマとなっていたのは、複数のクラウドとオンプレミスまでを含んだITインフラ全体を統合的に利用できるようにする「マルチクラウド」戦略だ。現実に存在する企業の情報システムの上で、AI導入をはじめとするデジタル変革を実現するに際しては、IBMが提供する技術やサービスが強力な武器になるという。(取材・文/日高 彰)

 

クラウドを束ねるレイヤーにフィールドを移す

 米IBMのバージニア・ロメッティ会長兼CEOは、Think 2019初日の基調講演で「皆さんは“デジタル・リインベンション第2章”の始まりに立っている。この第2章では、ミッションクリティカルなアプリケーションのクラウド化が進み、あらゆる企業がエンタープライズ指向でAIを活用する」と述べ、デジタル技術によるビジネスモデルのリインベンション(再発明)は、これから新たなステージを迎えると宣言した。

 同社がThinkの期間中、さまざまなセッションで訴えていたのが、クラウドとオンプレミスのITインフラを統合的に利用する「ハイブリッドクラウド」、そして複数のクラウド基盤を横断的に運用・管理する「マルチクラウド」の戦略だ。
 
Linux Foundationのエグゼクティブディレクター、ジム・ゼムリン氏らとのディスカッションで、
オープンソースへのコミットを強調するバージニア・ロメッティ会長

 特に、後者のマルチクラウド戦略は、今後のIBMの方向性を表現する重要なキーワードとなる。自社のパブリッククラウド「IBM Cloud」を提供するIBMだが、そこへ顧客を囲い込むことで高い収益を得ようとするのではなく、競合他社のクラウドも含むあらゆる基盤を活用しながら、顧客の業務システム全体を、デジタル変革に最適な形に整えていくことを戦略の中心に据えたのだ。

 マルチクラウド戦略に注力する姿勢は、パブリッククラウド市場において、AWSやAzureなどに事業規模で対抗していくのはもはや現実的ではないとみたIBMが、それらを束ねる仕組みを提供することで、真っ向勝負を避けながらクラウドビジネスを展開しようとする動きにもみえる。

 しかしロメッティ会長は、冒頭のコメントのように、同社が第2章と位置付けるこれからが、企業によるクラウド活用の本番であると強調する。サービスをスピーディーに立ち上げるため、あるいは、ある限定された領域でAIやIoTを導入するためにクラウドの活用は拡大してきたが、このようにしてクラウド化された業務は一部に過ぎず、8割方の業務は現在もオンプレミスの基盤上で動いている、というのが同社の見方だ。

 オンプレミスの基幹業務システムをクラウド化、あるいはそれらをオンプレミスに置いたままでもクラウドと連携可能な形にしていかなければ、AIを活用した経営判断の高速化・自動化や、新たなビジネスモデルの開発といった段階までたどり着くことはできない。ほとんどの企業がすでに複数のクラウドサービスを利用している一方、この先も一部の基幹業務システムはオンプレミスに残り続けると予想される。それらの分散したIT資産を統合的に管理・運用できる仕組みと、基幹業務にも活用できるAIの両方を提供できるのは、IBMだけというのが同社の主張だ。

 また、近年はほとんどのITベンダーが、「データは今後石油のような価値を生む」などといった表現で、データが企業の競争力を左右すると説くが、企業が保有するデータは、クラウド上のAIエンジンからアクセス可能な形になっていないことが多い。IBMは今回のThinkで、オンプレミスや他社クラウドにもWatsonを展開可能にする「Watson Anywhere」を発表しており、これもAIを業務に導入するにはマルチクラウドのサポートが必須とする同社の考えを端的に示すものになっている。
 
多くの重要セッションでホスト役を務めた
アーヴィン・クリシュナ・シニアバイスプレジデント

 このようなビジョンを実現するため、IBMはどのような方向性で製品やサービスの充実を図っていくのか。それをイベント2日目に説明したのが、クラウドおよびコグニティブソフトウェア担当シニアバイスプレジデントのアーヴィン・クリシュナ氏だ。クリシュナ氏はこの日、「クラウドへの旅路」「AIへの旅路」という二つの重要セッションのホストを務め、企業がすでに保有するITインフラをどのように変革すべきか、そして現実の業務に適用可能なAIとはどのようなものかを説明した。

クラウドとAI導入で企業に現実解を提示

 まず、同社がIBM Cloudの大きな優位性として16年から訴えているのが、企業がVMware環境で動かしている業務アプリケーションを、そのままクラウドへ移行できる「VMware on IBM Cloud」だ。同様のサービスはAWSも1年遅れで提供しているが、“元祖”はIBMであり、すでに多くのグローバル企業がこの仕組みを利用して基幹業務システムの「リフト&シフト」を実現していると強調。ステージ上には、米ヴイエムウェアのパトリック・ゲルシンガーCEOも登場し、ワークロードを適材適所で配置する、ハイブリッドクラウドの考え方で両社は同じ方向を向いていることをアピールした。

 さらに、独SAPでクラウドプラットフォームを担当するコリン・スピア シニアバイスプレジデント、米レッドハットで製品と技術を担当するポール・コーミア エグゼクティブバイスプレジデントがゲストに招かれた。スピア氏は、ERPのようなミッションクリティカルなアプリケーションも、デジタル変革に対応するには、コンテナなどクラウドネイティブな環境で安定稼働できるようにしていく必要があるとし、コーミア氏はここ数年、コンテナ基盤であるOpenShiftをエンタープライズ環境で利用できるように開発を進めてきたことをアピール。レッドハットがIBMの傘下となったことで、オープンソース技術で構築されたクラウド基盤のミッションクリティカルなシーンでの活用が、さらに加速するとの見方を示した。

 AIに関しては、クリシュナ氏は「IBMは、AIをワークフローの中に統合する方法論を提供している。また、業務にAIを導入するには、結果に信頼性と透明性をもてなければならない」と述べ、AIの導入を支援するためのビジネスプロセス管理ツール「Business Automation Intelligence with Watson」を年内に提供することを発表した。

 また、AIに偏りをもったデータが入力された場合、ビジネス上不適切な結果が出力される恐れがあるが、IBMはこの問題を解消するソリューション「Watson OpenScale」を用意している。融資の可否判断などセンシティブな判断が求められる業務において、AIが出した答えの根拠を表示することができるのが特徴。学習データの偏りによって結論が導かれる恐れがある場合、それを警告することが可能という。このように、AIエンジン自体に加え、AIの運用を支援するツールを取り揃えることによって、現実の業務へのAIの導入を加速していくのがIBMの戦略だ。

西海岸で訴える技術リーダーシップ

 イベント期間中は、IBMによるクラウドとAIの戦略、そして、それにひも付くソリューションの発表が相次いだが、先進領域での研究開発に関してもさまざまな呼び物が用意されていた。

 その中の一つが、人間とディベート競技を行うAIの「Project Debater」だ。競技として実施されるディベートは、与えられたテーマを肯定する陣営と否定する陣営に分かれ、どちらの主張に説得力や洞察力があるかを観客が判定するというもので、Think期間中には、AIであるDebaterと、国際的なディベート大会で優勝経験のあるアナリストのハリシュ・ナタラジャン氏が対決するイベントが開催された。
 
ディベート競技で対戦する「Project Debater」とハリシュ・ナタラジャン氏

 ディベートの議題は「幼稚園や保育園に助成金を交付すべきである」で、Debaterが肯定側、ナタラジャン氏が否定側に立った。両者とも議題が与えられたのは競技の15分前で、インターネット上の情報にはアクセスできない。予習なしで、自分の知識と経験だけをもとに、議題を肯定または否定する論理を組み立てなければいけない。

 Debaterは、膨大なデータの中から専門家の研究レポートや著名人の発言などを引用し、就学前教育がさまざまな社会問題の解決に寄与することを説明したのに対し、ナタラジャン氏はDebaterが挙げた社会問題は他の手段でも解決の余地があり、一部を優遇して公的な支出を行うのは公平ではないと指摘。討論終了後、否定側の主張を支持する聴衆が増えたため、競技自体はナタラジャン氏の勝利だったが、「どちらの主張を聞いて、議題に関する知識がより豊かになったか」というアンケートに対しては、Debaterに軍配を上げる聴衆がナタラジャン氏の約3倍に上り、主張を補強するための情報を素早く提示するという仕事では、AIが大きな優位性を発揮できることを示した。

 Debaterは、与えられた情報から一つの答えを導くAIではなく、一つのテーマに対してさまざまな視点を提示する、いわば発散型のAIであり、これまでのWatsonとは異なる技術だという。現時点では商品化の予定はなく、テクノロジーの可能性を模索する取り組みの一つという位置付けだ。

 Thinkの展示ホール内では、1月に発表された量子コンピューターの商用製品「IBM Q System One」が注目を集めており、実物大模型の前で撮った記念写真をSNSへ投稿する来場者の姿も多く見られた。
 
ひときわ注目を集めた量子コンピューター「IBM Q System One」

 エンタープライズIT界の巨人であり、東海岸・ニューヨーク州に本社を置くIBMにとって、GAFAやスタートアップの領分である西海岸は“アウェイ”の土地。全社挙げての大型イベントをサンフランシスコで開催するのは今回が初ということだが、シリコンバレーの風が吹くこの地で、同社がこれからもイノベーターであり続けていくことを印象づけていた。