日本で、コロナ禍でITの重要性が再認識され、DXの機運もようやく高まってきたが、IT業界の実情は受託開発や旧来テクノロジーを使ったシステムの保守などが中心で、十分な創造性を発揮するまでには至っていない。そんな中、MIJS(Made in Japan Software & Service Consortium)では、「ソフトウェアで日本を強くする」を合言葉に、自社開発製品・サービスを持った国内のIT企業が集まって2005年から活動し、小さくとも独自の技術や製品・サービスを持った企業が集まって互いに切磋琢磨することで「日本発の世界に通用するソフトウェアやサービス」を生むことを目指している。そこで、この連載ではMIJS会員企業の代表が、リレー式に日本のIT業界の現状や課題、未来を語ることによって「これからの日本におけるIT・ソフトウェアの未来」について考えていきたい。まずは理事長である筆者がトップバッターとして、深くかかわってきた製造業のERP/SCM領域について振り返ってみる。
ITとの関わり
筆者は、もともとソフトウェア開発者(プログラマー)で、製造業のシステム構築に30年以上携わってきた。当初は今でいうスクラッチ開発、具体的にはC言語などで「手作り」システムを作っていた。90年代の半ばにソフトウェアの部品化、いわゆる「オブジェクト指向」技術の活用が現実的になってきたことで、ソフトウェア開発の生産性・メンテナンス性が飛躍的に高まった。オブジェクト指向技術を全面的に採用して、当時まだ珍しかったソースコードを公開することにより、筆者らが開発した製造業向けのSCM(生産・原価管理)パッケージ「mcframe(エムシーフレーム)」は市場に受け入れられ、現在まで多くのパートナー企業を獲得し、多くの顧客に採用されるに至っている。
日本企業のERP導入
一方で90~00年代は、グローバルにおいてはBPRを標榜したERP製品が急速に広まった時期でもあった。ところが、日本においてはERPの導入が一部の大手企業の特定業務領域に「限定的に」採用されるにとどまり、その周辺には膨大な「アドオン」プログラムが生み出されることとなり、従来のBPRという目的とはかけ離れたERP導入が数多く起こった。この頃を境に、日本企業はIT化・デジタル化という面において、海外企業に差を広げられることになり、日本企業のグローバル競争力は徐々に低下していった。
日本企業のIT化が遅れた理由
なぜ、日本企業でERPの導入・デジタル化が進まなかったのか。理由は、(1)当初はERPの機能がサプライチェーン領域において、日本企業の要求水準に達していなかった、(2)日本企業の「行き過ぎた現場重視」により必要以上のアドオンが求められた、(3)多くの日本企業は、単一民族に起因する同質性・均質性を基にした「暗黙知」で運営されており、その限りにおいては厳格なルール(システム)は必要とされなかった――の3点に集約される。
製造業を例にとると、競争が国内にとどまっているうちは良かったが、好むと好まざるに関わらず競争がグローバル化することにより、これまでの「人間系」「現場系」だけに頼った仕組では太刀打ちできなくなり、これが競争力の低下につながった。
日本企業のこれからのデジタル化
日本企業の多くはデジタル化の波に乗れずにこのまま衰退に向かってしまうのか。
今、コロナ禍、サプライチェーンの分断という未曽有の試練がおとずれている。このような危機的な状況において、これまで腰の重かった日本企業も、デジタル化に舵を切らざるを得なくなっている。コロナ以降、多くの日本企業がデジタル化に待ったなしで取り組み始めている。これが巻き返しの最後のチャンスである。
■執筆者プロフィール

羽田雅一(ハネダ マサカズ)
MIJS 理事長
ビジネスエンジニアリング 社長
1987年、エンジニアリング会社に入社、プログラマーやシステムエンジニアとして製造業向けのシステム開発に携わる。96年、SCMパッケージ「mcframe(エムシーフレーム)」を企画・開発し、同システムの営業・導入などに携わる。99年4月、ビジネスエンジニアリングが設立となり、同社に入社。20年4月、代表取締役社長に就任。著書に、「ものづくりデジタライゼーション」「グラス片手にデータベース設計~生産管理システム編~」(共著)などがある。