ひょんなことでIT業界への道を辿る。きっかけは、父親の「これからはコンピュータの時代だ」という言葉だった。医師を志し、医学部を受験。筆記試験を通過、残るは健康診断という段階で「軽度の色覚異常と診断された」。道が閉ざされた。その時に父から助言を受けたのだ。
「ITの専門学校に入ったけれど、医者になるという夢を捨てきれず、ぴんとこなかった」。しかし、父が逝去。彼の希望通り、ITの道に進んだ。卒業後はソフト開発のプログラマSEとして社会人の一歩を踏み出す。「業界や仕事のイロハを先輩から叩き込まれ、刺激になった」。ここでITの魅力に気づく。
海外のITメーカーが相次いで日本市場へ進出してきた頃、複数の外資系メーカーで営業に携わった。ところが、「自社株ばかりを気にし、営業活動をしていない社員もいた」。そんなIT業界に嫌気がさした。
「フェイス・トゥー・フェイスで、お客さんが喜ぶ顔が見たい」と、ホテルに転職。ブライダル部門を担当し、「これまでの顧客対応は未熟だった」と反省する。政治家・岩國哲人氏の公設秘書も務め「さまざまな意味で“戦略”を学んだ」そうだ。
受託開発のテービーテックに入社したのは、「成長を目指して、会社が大きく変わろうとしていた時期だったから」。それに、「独り暮らしの母親が心配で、実家(名古屋)の近くで就職したかった」ことも理由の一つだ。会社では、ソフトの自社開発事業を任された。
再びITの道を選んだのは、「様々な業界を経験し、ITが何かを変える1要素になる」と判断したからだ。「IT業界から国を変えたい」。1つの企業を変貌させることが、国全体を変えることにもつながるかもしれない。
プロフィール
森下 学
(もりした まなぶ)■1966年2月1日生まれ。■専門学校卒業後、ソフト開発のプログラマSEを経て、日本ワング、日本ピープルソフト、ハイペリオンなど外資系メーカーで営業を経験。衆議院議員である岩國哲人氏の公設秘書にも就く。■06年、ソフト開発のテービーテックに入社。現在に至る。