起業家の父は、木材関連のビジネスを手がけて海外を飛び回っていた。世界を知る父ゆえか、教室という枠のなかで個性を奪うような日本の教育に疑問を感じていた。そこで、息子の教育に関して「ホームスクーリング」を選択する。「父の方針は、『自由に生きていい。ただ、自分の行動は自分で責任をとれ』というものだった」と塩光は振り返る。日本にいながら、米国の通信教育を受けて卒業資格を得る。米国帰りの叔父から英会話を習い、まるで米国に住んでいたかのようなネイティブな英語を習得する。そんな塩光の心を動かしたのがコンピュータだ。「6歳ぐらいから触っていて、すごく楽しいと感じていた」。マイクロソフトの募集に迷わず応募。18歳のときだ。契約社員としてエンジニアの業務に従事する。それから4年ほどが経過し、マイクロソフトのグローバルISVパートナーで、「Microsoft SharePoint」に圧倒的な強みをもつAvePointから、日本法人の設立にあたって優秀なエンジニアが欲しいという打診。これまでのスキルを生かすことができると判断して、AvePoint Japanに入社した。
「経営の視点がなければ新しい技術は生まれない」という塩光の考えを汲んで、AvePointはエンジニア部門の責任者だった塩光に、シンガポール拠点の立ち上げを経験させた。そこでの実績が認められて、AvePoint Japanの代表取締役に抜擢される。今はCTOとして、経営を視野に入れながら新しい技術を駆使した製品・サービスの開発に没頭している。
「日本のワークスタイルを抜本的に変える製品・サービスを創造する」というのが当面の目標。日本生まれで日本育ち、でも帰国子女のような経歴をもつ塩光だから、達成する日は近いと期待させるものがある。(文中敬称略)
プロフィール
塩光 献
塩光 献(しおみつ けん)
1984年11月生まれ、東京都出身。マイクロソフト(現・日本マイクロソフト)に契約社員として入社、エンジニアとして業務に従事する。08年7月、AvePoint Japanで第1号のエンジニアとして入社、その後、プリセールスとポストセールスを束ねるエンジニアリング部門を統括。11年、シンガポール拠点のCountry Managerに就任。その後、日本に戻って代表取締役に就任。現在は代表取締役二人体制でCTOとして技術関連を指揮する。