「とにかく見聞を広げ、自分探し、やりたいこと探しをしたい」と、高校を卒業するとともに海外に出た。短期で現地の語学学校に通うなど、ヨーロッパ、アジアを中心に転々。帰国用の航空券のみをもっている状態でお金が尽きたこともあった。現地で知り合った友人の家に泊めてもらっていたが、彼に誘われて行ったビンゴ大会で奇跡は起こる。会場には1000人ほど集まっていただろうか。最初にあたれば、賞金は数十万円。しかし確率は1000分の1。少しでもあたる確率を上げるために、同じテーブルに居合わせた女性とチームを組むことに。彼女が見事に最初のビンゴを獲得し、分け前をもらって、無事に帰国までの滞在費を得ることができた経験がある。この期間、総じてお金に余裕はなかったが、コミュニケーション力とバイタリティは養われたと感じている。
2014年、Yellowfinの総代理店だった京セラ丸善システムインテグレーション(KMSI、現在は京セラコミュニケーションシステムに統合)からYellowfinチームがスピンアウトするかたちでYellowfin Japanは誕生したが、林勇吾はそのけん引役だった。プロダクト、そして何よりも創業者であるグレン・ラビーCEOに魅力を感じ、今度はYellowfinに賭けた。初めて会ったのは、9年前の京都だった。オーストラリア人だが、母親がドイツ人であるラビーCEOとドイツ語で会話して意気投合したことを鮮明に覚えている。「高校卒業後の海外暮らしが役に立ったことなんてまったくなかったが、ここで初めて生きた」と笑う。
ラビーCEOに、何かをやれと命令されたことは一度もない。現場を信じて、ただ背中を押してくれる、その人柄に惚れ込んでいる。「KMSI時代の酒席で、このままYellowfinが進化を続けたら50年は残る会社になると思うとラビーに伝えたら、彼は僕にキスしてきた(笑)。そのときすでにワインボトルは8本くらい空いていた」。信頼関係は強固なものがある。(敬称略)
プロフィール
林 勇吾
(はやし ゆうご)
1978年生まれ。仙台市出身。前職の京セラ丸善システムインテグレーション(2016年に京セラコミュニケーションシステムに統合)では、豪BIツールベンダーであるYellowfinの国内総代理店としてのビジネスに立ち上げ当初からかかわり、6年にわたって営業に携わる。14年10月、Yellowfinの日本法人設立に参画し、Yellowfin Japanの責任者に。現在は東アジア事業全体の責任者を務める。