バンド活動とアルバイトに明け暮れた高校時代だった。学業は、とにかく学校の定期テストに全力投球し、指定校推薦を勝ち取って大学に進学した。受験勉強に割く時間がもったいないと判断。自分がいまやりたいことと求める将来像から逆算して、労力と時間を配分しマルチタスクをこなした結果だ。
バンドのデモ音源づくりもアナログからデジタルに移り変わろうとしていた時期だった。電子工学科を選んだのは、コンピュータの世界なら音楽と親和性もあるし、音楽の道を離れたとしても成長産業として期待できそうだと踏んだから。研究室では、3Dホログラム映像を出力するソフトウェアを手組みでつくりあげた。2年かけて書いた数万行のプログラム。達成感とともに、ITの可能性の大きさを実感し胸が熱くなった。
入社後は、ベーシストだった経歴とリンクするように、ユーザーの情報システムを支えるITインフラの構築・運用を担当。客先に常駐し、「お客様の情報システム部の一員として働いた」経験が成長の糧になった。「ベンダーは、サーバーを構築して納品したらそれで責任を果たしたと思ってしまう。しかし情シスの皆さんは、自社のビジネスの向上にITをどう生かすか、エンドユーザーにどんなメリットを提供できるか、常に一生懸命考えている」。
同社は近年、顧客の成長を支えるトータルなソリューション提案を重視する方向に舵を切っている。自らの長年の課題意識と自社のビジネスの方向性が合致してきたことに手応えを感じている。「息の合ったバンドのように、アプリケーション領域も含め自社や富士通グループの各分野のプロフェッショナルを巻き込んで、シナジーを出していかなければならない」と、この変革のけん引者として真骨頂を発揮しようとしている。(敬称略)
プロフィール
浅尾太一
(あさお たいち)
1981年7月生まれ。横浜市出身。芝浦工業大学電子工学科卒。2004年、富士通エフ・アイ・ピーに入社し、オンサイトサービス部に配属。客先に常駐してユーザーのシステム運用などに従事。13年、常駐型の勤務からデータセンター勤務に。公共系ユーザーのDC導入やインフラ構築をはじめ、アウトソーシング業務に従事。16年から現職。