日本経済の低迷でページプリンタ市場の伸びが鈍化するなか、ビジネス向けに開発された低コストで高機能な「ビジネスインクジェットプリンタ」の需要が高まっている。とくにSOHO・小規模事業者の間で浸透し始めた。プリンタメーカー各社は、この市場に向けて新機種を相次いで投入。ビジネスインクジェット市場は競争激化の様相を呈している。最近の情勢をリポートする。(取材・文/谷畑良胤)
火つけ役はブラザー工業のA3カラー複合機
リーマン・ショックの影響による国内経済の低迷や、東日本大震災で起きた福島第一原子力発電所の事故による電力供給不足の事態などを経て、企業・団体内でのプリント(印刷)ボリュームが減少の一途をたどっている。1枚あたりの印刷コストが高いカラー印刷を制限したり、全体の印刷枚数を厳密に管理してコストを削減したり、電力供給不足への備えや電力消費量を抑えることを目的として、既存のプリンタを低消費電力のプリンタに置き換える動きが目立つ。
こうした環境の変化を背景に、企業・団体では、コピーベースのデジタル複合機でプリンタを集約し、少ない配置台数で集中管理する傾向が強まった。その一方で、部門単位で使われていたページプリンタ(レーザー方式とLED=発光ダイオード方式)が取り払われて、社員は自席から遠い場所に置かれたプリンタまで足を運んで印刷するというような不便な状況に置かれつつある。
国内ページプリンタ市場は、各メーカーが、機器自体が安価で消費電力を極限まで落とした先端機種を投入してきたことから、不景気にもかかわらず、いったんは販売台数の回復を成し遂げた。しかし、全体の販売台数を底上げし、安定的に伸ばす特効薬にはなっていない。そこでメーカーが目をつけたのは、ビジネス用途の仕様に仕立て上げた「ビジネスインクジェット」と呼ばれるプリンタだ。メーカー各社はここにきて、ページプリンタに比べて印刷速度や耐久性、印刷品質などの機能が劣るインクジェットプリンタをページプリンタ並みに改良した機種を揃えてきたのだ。
この動きに火をつけたのは、リーマン・ショック当時の2008年にブラザー工業が投入したインクジェットのA3カラー複合機だ。同社の販売子会社であるブラザー販売が「注文が殺到して、出荷待ちの状況を生んだ」(大澤敏明・マーケティング推進部長兼戦略事業推進プロジェクトマネージャー)というほど、爆発的にヒットした。他のメーカーもその売れ行きに刺激を受けて、相次いでビジネス向けのインクジェトプリンタを拡充してきたという構図である。
「本体価格+ランニングコスト」がページプリンタの半額──。これが各社がインクジェトプリンタを販売する際の売り文句だ。「ビジネスインクジェット」は、果たしてプリンタ業界復活の起爆剤になり得るのか。
【Figure 1】市場と製品ニーズ
市場は最低130万台 ビジネス向けに開発されたインクジェットプリンタ(ビジネスインクジェット)の国内市場規模を示す明確な調査データは見当たらない。メーカー各社は、ビジネスインクジェットプリンタの市場規模として、キヤノンの「PIXUSシリーズ」やセイコーエプソンの「Colorioシリーズ」など、家庭用インクジェットプリンタが法人で使用されている台数を一つの指標としている。
日本ヒューレット・パッカード(日本HP)の試算によれば、国内の企業・団体に導入されている家庭用インクジェットプリンタのMIF(市場での稼働台数)は約100万台。同社の松本達彦・コンシューマービジネス本部長は、「インク容量や給紙量が少なく、耐久性が低いにもかかわらず、コスト面を考慮して家庭用を使っている」とみており、割高なページプリンタを購入できず、家庭用機種で代替しているSOHO・小規模事業者は多いと分析する。この分野をビジネスインクジェットに置き換えるだけでも、一定規模の市場になる。
セイコーエプソンの販売子会社、エプソン販売も、法人での家庭用のMIFが100万~110万台に達すると推計する。家庭用プリンタの置き換えに加えて、コスト削減や省電力を配慮する層へのページプリンタの代替、業種や業務別に向けての展開などを含めれば、ビジネスインクジェットの国内のMIFは130万台を下回ることはなさそうだ。コピーベースのMFPを除く国内のMIFは約2000万台。これに比べれば規模は小さいが、ページプリンタに比べてニーズが高いことを考慮すれば、見過ごせない市場だ。
エプソン販売の中野修義・取締役販売推進本部長は、「ページプリンタは、耐久性がミニマムで60万枚。だが、従業員が1~10人規模のSOHOや小規模事業者では、10万~30万枚の耐久性でとくに問題はない」とみる。同社は、月間印刷枚数が2000~5000枚のSOHO・小規模事業者や部門単位などをターゲットとして製品群を揃えている。印刷規模や用途に応じて、自社のページプリンタとインクジェットプリンタの対象市場の棲み分けを図っているのだ。
ページプリンタ並みの高性能 エプソン販売の中野本部長は、ビジネス向けに導入されているインクジェトプリンタの傾向が「ページプリンタと異なる」として、「110万台を想定市場規模とすると、インクジェットは70万台が複合機で40万台がシングル機という構成比になる。ページプリンタの場合は、これが逆転する」とみている。そして、ビジネスインクジェットの拡販では「複合機」の拡充が重要になると指摘する。
ブラザー工業が2008年に発売し、大ヒットしたA3カラー複合機(現行後継機=JUSTIO MFC-J6710CDW)は、今も同社の売れ筋ラインだ。ブラザー販売の大澤部長によれば、「A3カラー複合機を中心に、従業員1~5人の建設業や製造業、不動産業など、幅広い層へ売れている」状況にある。どちらかといえば不景気の影響を受けてコスト削減要求の大きい業種で、CADを使って設計図面などを印刷する用途などに導入が進み、最近では小売・流通のバックヤードでも使われるケースが増えているとのことだ。
ブラザー工業のA3カラー複合機が大ヒットする前にも、メーカー各社は特殊用途向けにビジネスインクジェットプリンタを揃えていたが、一般オフィスの利用に適した性能にはほど遠かった。しかし、リーマン・ショックを契機に、メーカーの間では、インクと給紙の容量が多く、印刷速度がページプリンタのローエンド製品並みで、蛍光ペンで線を引いてもにじまない顔料インクを搭載した安価なビジネスインクジェットの開発競争が始まった。日本HP、リコーに続き、昨年には家庭用インクジェットのトップメーカーであるセイコーエプソンが大量の機種をラインアップするなど、キヤノンを含めてこの市場を巡る争いが激化している。
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