大都市圏、とりわけ首都圏への人口集中は進む一方で、地方の衰退が叫ばれて久しい。安倍政権は、これを人口減少の要因の一つと位置づけ、地方を活性化させることで人口減少に歯止めをかけようとしている。そして、「地方創生」を重点施策に位置づけた。会津若松市は、この地方創生施策の根幹に、ITを据えた。同市の課題と取り組みを追い、「ITで地方創生は可能かどうか」を探る。(取材・文/本多和幸)
会津若松市の課題
避けて通れない雇用の問題
限界を迎えた従来型の企業誘致施策
●加速する生産年齢人口の流出 
高橋智之
会津若松市企画政策
部長 近年、会津若松市が直面している最大の課題は、生産年齢人口(15歳以上65歳未満の人口)の減少だ。会津若松市内の産業構造の変化、そしてそれに伴う雇用状況の変化がその大きな要因になっている。会津若松市をコアとする会津地方17市町村の全人口は、2013年現在、2009年比で約1万5000人減少しているが、そのうち3分の2以上を、生産年齢人口が占める。会津若松市の高橋智之・企画政策部長は、「少子化による自然減というレベルではない。全会津の人口減少は、生産年齢人口の流出がその主要因であることは明白」と危機感を露わにする。
これまで会津若松市の雇用を支えてきたのは、製造業の生産拠点、つまりは「工場」だ。例えば富士通は、会津若松市の雇用を支えてきた代表的な企業といえる。高橋部長は、次のように説明する。「富士通は1967年に会津若松工場を開設し、半導体の主力工場として稼働してきた。最も多い時期には4300人を雇用していたが、2014年現在の雇用者数は1650人まで減っている。リーマン・ショック後の2009年、富士通はLSI(大規模集積回路)事業を再編し、2000人の配置転換を発表したほか、同じく会津若松市に生産拠点を置くフラッシュメモリ事業のグループ会社だったスパンション・ジャパンは、倒産を前に600人を解雇した(その後この生産ラインはテキサス・インスツルメンツが取得)。こうした動きとリンクして、電子部品・デバイスの出荷額はどんどん下がり、2012年には2009年比59%減の425億円にまで落ちた。市内の製造品出荷額全体に占める電子デバイス出荷額の割合も下がっている」(詳細は図1参照)。
会津若松地域の経済を支えてきた電子デバイスの生産は、このように縮小の道をたどった。ただ、工場で働く人たち(生産工程労務職)の有効求人倍率をみると、数字上はリーマン・ショック以降、改善の傾向を示すという不思議な現象も起きた。高橋部長はこれについて、「数字のまやかし」と言い切る。「求人数自体は増えていない。それなのに有効求人倍率が改善するということは、求職者が減ったということ。会津地域の製造業工場の再編などで勤務地が異動した人も含め、生産工程労務職の人材が会津地域外に流出したことの証に過ぎない」。
製造業は、設備投資による労働集約型の生産体制が進み、コスト削減の圧力も高まっている。地方自治体が、安い人件費と土地をエサに工場を誘致する手法は、もはや地域経済の安定した成長にはつながらない。会津若松市の行政には、リーマン・ショック以降、そんな危機感が漂っていた。
●「スマートシティ」による地域再生 
中村彰二朗
アクセンチュア
福島イノベーションセンター
センター長 2011年の東日本大震災は、会津若松市がITを活用した新しい産業の創出・育成を志す大きな契機となった。震災の半年後、アクセンチュアが、地震や津波の物理的な被害を受けたわけではなかった会津若松市に福島復興支援の拠点「福島イノベーションセンター」を開設し、同市をフィールドに、復興後を見据えた地域再生のための社会モデルづくりに取り組みたいと市側に提案したのだ。アクセンチュア側でこの動きを主導したのは、中村彰二朗・福島イノベーションセンターセンター長だ。中村センター長は、福島イノベーションセンターの立ち上げとともに生活拠点も会津若松市に移した。「被災地の復興はもちろん、日本のこれからの課題をITで解決するモデルをつくりあげたい」と意気込む。
アクセンチュアの提案内容は、平たくいえば、「スマートシティ化による地域再生」だった。ここでいうスマートシティとは、「エネルギーマネジメントの高度化による低炭素化の推進という概念にとどまらず、ITを最大限活用して、魅力的なまちづくりを推進していく都市戦略そのもの」(中村センター長)なのだという。結果として提案は受け入れられ、アクセンチュアは、会津若松市、会津大学と協定を結び、福島県と会津若松市の震災復興に向けて産業振興と雇用創出に取り組むことになり、プロジェクトのブレーンとして活動を始める。
高橋部長は、「アクセンチュアとの出会いは非常に大きかった」と振り返る。「製造業が厳しいとなると、今ある知識資源を活用するしかないということになる。幸い、市内には県立会津大学というコンピュータ理工学に特化したIT人材育成のための器もあった。この資産を生かし、製造業の工場誘致などに頼らずに、ITを生かした高付加価値産業で地域を活性化していこうというアクセンチュアの提案は、会津若松市の課題にマッチしていた」。
また、会津若松市は、震災以前から木質バイオマスを使った発電に取り組み、再生可能エネルギーの活用を進めてきた。同市の林業では、毎年15万トン以上の未利用材が発生し、山林に放置されるなど、山が荒れる原因となっていたため、本来は、その対策として始めたもの。高橋部長は、「期せずして、エネルギー供給の安定と利用の最適化というスマートシティの重要テーマの実現に向けたインフラとして、バイオマス発電所を活用する流れができた」と、再生可能エネルギーのインフラがすでにあったことも、スマートシティの実現性を高める大きなファクターだったと説明する。
そして現在、会津若松市は、「地域再生計画」を策定して国の認定を受け、本格的に「地方創生事業」に乗り出している。以下、会津若松市が進めてきた具体的なスマートシティ化プロジェクトと、これから取り組もうとしている地方創生施策をみていく。
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