先に体験があり次が空間や製品のデザイン
ビッグデータやAI、IoTなどの新たな技術の活用は、デザイン思考との関係が深い。富士通デザインの上田義弘社長は「今はいかにして良い経験をしてもらうかが、製品やサービスの価値になる。体験をデザインするのがUXデザインで、そのために製品やUIデザインがある」と考えている。先に体験があり、次に空間や製品のデザインがくる。このアプローチで顧客と一緒に考えるようになったのが、2000年代以降だという。
「例えば、IoTで水の浄化設備がどう変わるかを提案する。その際には、デザイナーが現地に赴き、浄化設備を調査するところから始める。現場のベテランエンジニアが経験や勘を頼りに行う作業をアナログで調べ、それをIoTやビッグデータでデジタルに置き換えられないかを考えていく」と上田社長。同社のデザイン部隊は、こういった活動ですでに実績を積んでおり、顧客との共創案件を多数実践してきている。
(左から)富士通の平野隆・マーケティング戦略本部
ブランド・デザイン戦略統括部エクスペリエンスデザイン部部長、
富士通デザインの上田義弘社長、
富士通の梨美由希・マーケティング戦略本部
ブランド・デザイン戦略統括部長シニアディレクター
顧客企業の多くは、AIやIoTのビジョンを明確に持っていない。そのため、ビジョンをつくるところから一緒に活動する。富士通では未来の顧客体験のユースケースをすでに30ほど用意しており、さらに「Human Centric Experience Design」としてデザイン思考の方法論を確立、これを基本フレームワークとして「Experience Design Service」を有償で提供している。ここでは「デザイナー、SE、コンサルタントが一緒になり、未来のビジョンの策定からそこに至る具体的なソリューションの構築までをサポートする」と富士通の梨美由希・マーケティング戦略本部 ブランド・デザイン戦略統括部長シニアディレクターは指摘する。
デザイン思考アプローチの全ての工程をサポート
富士通ではデザイン部隊が活躍するプロジェクトが、年間に300件ほど動いている。「AIやIoTの新サービスの立ち上げから、人材の育成、ブランディングの構築など、広告代理店の業務に近いものまである。インキュベーションプログラムを受託することもあり、テクノロジーの人材とビジネスの人材が協業することにもなる」と、富士通の平野隆・マーケティング戦略本部ブランド・デザイン戦略統括部エクスペリエンスデザイン部部長は語る。
デザイナーは各分野の専門家ではない。そのため適宜、専門知識を持ったコンサルタントなどと協力し、人間中心のアプローチでアイデアを出す。この時に重視するのが、前述の現場調査だ。そしてアイデアを基にプロトタイプを作り、評価してブラッシュアップする。これを繰り返すことで、ビジョンの達成を目指していく。こうした一連の動き全体が、デザイン思考のプロジェクトとなるのだ。
また、顧客向けのサービスとして「FUJITSU Digital Business College」で富士通のデザイン思考のノウハウやファシリテーション技術などを教育する講座も開講している。一期生として17年には20人ほどが参加。ここでのディスカッションから、参加者の所属企業で新たなプロジェクトが動き出した例も出ているという。
富士通では、企業がデザイン思考のアプローチをできるようにする場の提供にも力を入れている。東京・六本木には顧客との共創の場となる「HAB-YU」を、会員制DIY工房「Techshop」ではベンチャーと投資家などが出会う機会を提供している。また、「Digital Transformation Center」は共創ワークショップ空間で、富士通のデザイン発信拠点「Face」はギャラリーになっている。海外では、シリコンバレーでイノベーションの創出を支援する「Open Innovation Gateway」を開設している。
富士通社内でも、デザイン思考のアプローチは始まっている。「例えば働き方改革では、自分たちが目指す働き方を明らかにするために社員自らワークショップを行い、ビジョンをつくり実際にオフィス環境の改善にも取り組んでいる」と、梨美シニアディレクターは語る。SEなどの技術者が富士通デザインのオフィスに常駐し、一緒に仕事をする中でデザイン思考を学び、それを部署に持ち帰り周りに普及させる動きもある。
「メーカーとして培ってきたデザイナーのやり方を、SEやマーケティング担当なども活用できるようにするのが、富士通のデザイン思考アプローチ」と、富士通デザインの上田社長。
富士通の強みについては「ビジョンの構築からシステムに作り込むところまで、デザイン思考の全ての工程をサポートできるところ。プロダクト開発のノウハウもあり、さらにグループ会社を含めデバイスを作るところまでサポートできるところは、ほかにはない」と上田社長は考えている。
SIの標準開発手法でデザイン思考を採用
IBMでは、機能的なデザインにすることで、製品やサービスが顧客に受け入れられやすくなるとの発想が、デザイン思考に力を入れるきっかけとなった。4年ほど前からグローバルレベルで注力し、デザインスタジオを各国に設置している。最初はデザインの底上げに広く取り組むところから始まったが、さらにテクノロジーカットでのデザイン思考アプローチへと進化。AIサービスの「IBM Watson」やブロックチェーンなどを活用し、新たな価値を提供するためには、デザイン思考のアプローチが不可欠と考えたためだ。
「テクノロジーを素材に新たな価値を考える機会が増えている。これがデザイン思考とマッチした」と言うのは、日本IBMの二上哲也・グローバル・ビジネス・サービス事業本部CTO技術理事。この動きを活性化するために16年に生まれたのが、先進的なアプリケーションの短期開発を支援する「IBM Garage」だ。
「制約を排除し、新たな価値を見つけ出す。試行錯誤でこれを行う環境がなかった」と日本IBMの中鹿秀明・研究開発クラウド・イノベーション部長は指摘する。クラウドサービスの登場により、すぐに試せるツールが揃ったことも、デザイン思考の取り組みを後押しした。
新しい技術であるAIの活用などでは、すぐに試せる環境があることは極めて有効だ。デザイン思考でアプローチして短期間でPoC(概念実証)を行い、違うとなればやり直す。これを短いサイクルで繰り返していく。「Watsonを活用するようなプロジェクトでは、従来のウォーターフォール型ではうまくいかない」と、二上技術理事は説明する。
また新たな価値を見いだすには「徹底的にお客様になりきることも必要」と、日本IBMの木村幸太・グローバル・ビジネス・サービス事業本部 IBMイノベーション&インキュベーション ラボ IBM BlueHub Leadは話す。3カ月から6カ月ほどで、目に見える成果が求められるケースでは、旧来のコンサルティング手法ではなく、数週間でアジャイル開発を行い、試して評価する。この時に顧客視点での評価が重要になるという。これもペルソナを設定するデザイン思考のアプローチがマッチする。
(左から)日本IBMの木村幸太・グローバル・ビジネス・サービス事業本部
IBMイノベーション&インキュベーション ラボ IBM BlueHub Lead、
二上哲也・グローバル・ビジネス・サービス事業本部CTO技術理事、
中鹿秀明・研究開発クラウド・イノベーション部長
現状、ファシリテーションはできないにしても、IBMの社員ならデザイン思考については全員が知っている状況だ。グローバル・ビジネス・サービスの組織では、SIの標準開発手法も今やデザイン思考になっている。主には要件定義でデザイン思考のアプローチをとる。そのため、グローバル・ビジネス・サービスのメンバーは、デザイン思考の研修と方法論の理解が必須となっている。
また、デザイン思考アプローチをとることで、顧客との関係性も変わってきている。依頼に対しての作業ではなく、一緒に考えて共有する。これで「顧客と分かり合えるようになった」と二上技術理事。かつてはテクノロジーの話に終始しがちだったが、今ではビジネスの話題が増えているという。
SIの業務も変わってきた。作るゴールが最初から決まっているものだけでなく、ゴールを決めずにビジネスを伸ばすことや、売り上げを増やす方法を考えることが求められるようになっている。そのため、プロジェクトの初期には幅広い議論へと発展する傾向があり、そこから現実に向けた取り組みへと絞り込んでいかなければならない。IBMのデザイン思考アプローチは、そのためのメニュー化もなされている。
デザイン思考アプローチでイノベーションパートナーに
先述したIBM Garageだが、日本ではニューヨーク発のコワーキングスペース「WeWork」に拠点を置いており、研究所の研究者からコンサルタント、SEなどさまざまなメンバーが集まる。この新しい環境でのデザインワークにより、自由な発想を引き出すのだ。
「IBM Garageでは横のつながりを重視している」と中鹿部長。IBMでは珍しい体制であり、顧客からは1チームに見えるように活動している。この実現に当たり、人材の流動性を確保できるよう、人事制度に手を加えたとのことだ。
IBMではブロックチェーンを導入するに当たり、デザイン思考アプローチを活用した事例がある。この取り組みは、教育関連の事業において、新しいテクノロジーによって教育の在り方を変えられるのでは、との発想から始まったという。結果的にはブロックチェーンを用い、グローバルで成績表の管理をする仕組みを構築するという成果を残した。
IBMのデザイン思考アプローチでは、まずはヒアリングで課題を見つけ出し、そこからターゲットを絞り込んで実装する。それを評価し、結果をベースに改良を加えていく。ポイントは、これを速いペースで繰り返すという点だ。「事前の準備があるとはいえ、最短2週間で結果を出した事例がある」と木村氏。利用するのは、もちろんIBMの技術だけではない。他の技術も利用したり、パートナーと一緒にプロジェクトを進めたりすることもある。
「デザイン思考の部分を比較すると、各社似たようなサービスに見えるかもしれない」と木村氏。とはいえ、方法論が確立していて、SIで培ってきたノウハウとうまく融合できるところが強みだと考えている。
ITの提供側は、ユーザー目線重視といいつつも、何かと新しいテクノロジーに傾注しがちになる。それも重要だが、新しいテクノロジーの活用をイノベーションへとつなげていくには、ITの提供側にも変化が求められる。デザイン思考は、つかみどころが難しいが、変化への対応には重要なアプローチとなる。