世界最大のモバイル通信イベント「MWC19 Barcelona」が、今年もスペイン・バルセロナで開催された。会場は「5G」一色だったが、もはや高速通信によるバラ色の未来を描く段階ではなく、爆発的な増大が予想されるトラフィックをどのように収容するか、現実の課題がテーマとなっている。MWCで登場したテクノロジーを俯瞰すると、数年先のITインフラはどのような姿になっていくのか、その片鱗が見えてくる。(取材・文/日高 彰)
スマホは5Gを構成する一要素
主役はエコシステム
今年のMWCは、会場のどこにいても辺りを見回せば「5G」の文字が目に飛び込んでくる。開幕の前週には、米サンフランシスコでサムスン電子が「Galaxy」シリーズの最新モデルを発表したほか、開幕前日には、華為技術(ファーウェイ)もスマートフォンの新製品を発表した。両社とも5Gに対応するほか、一部のハイエンド機種は本体を画面ごと二つ折りにできる折りたたみ機構も盛り込んだ。MWC会場では、折りたたみスマホは来場者の手が届かない場所での展示だったが、その周辺には常に人だかりができており、新機種と5Gに対する関心の高さが感じられた。
ファーウェイが発表した5G対応の
折りたたみ式スマートフォン
しかし、携帯電話・スマートフォンのための技術だった4Gまでとは異なり、5Gは産業や社会インフラの高度化に寄与する、IoTネットワークとしての側面が中心と言われている。このMWCというイベント自体、昨年までは「Mobile World Congress(モバイル世界会議)」の名称で開催されていたが、今年からは、略称だった「MWC」を正式な催事名に格上げした。そこには、5Gはモバイルの世界にとどまるものではなく、ビジネスや社会そのもののあり方を変革する技術なのだ――という主催者の訴えが含まれている。スマートフォンはあくまで5Gの世界を構成する一要素であり、MWCの主役はネットワークインフラを中心としたエコシステムだ。
注目を集めた楽天ブース
世界初の「完全仮想化ネットワーク」
世界の大手携帯電話事業者は、5Gインフラ投資の方針をすでに大枠で固めており、通信機器ベンダー各社の展示ブースにも、従前からのロードマップに沿った製品が順当に並んでいた。
サムスン電子は5G対応スマートフォンでビデオストリーミングを実施
クアルコムの展示ブースには5G基地局が設置され、
実際に電波を発射した
その中で異質な注目を集めていたのが、楽天のブースだった。今年10月から日本で携帯電話サービスを開始する子会社・楽天モバイルネットワークが、世界初という「完全仮想化ネットワーク」のアーキテクチャーを発表したのだ。
楽天
三木谷浩史社長
携帯電話網は、パケット交換や加入者管理などを司る「コアネットワーク」と、コアネットワークと加入者の端末の間をLTEなどの無線技術で接続する「無線アクセスネットワーク(RAN:Radio Access Network)」から構成されている。従来は、通信機器ベンダーが提供する専用ハードウェアを利用して構築されていたが、楽天は末端の無線機器を除き、これらをx86アーキテクチャーの汎用サーバーとその上で動作するソフトウェアに置き換えたのが特徴だ。
クアルコムのチップを利用して楽天が
設計・開発した、ミリ波帯用の5G基地局
コアネットワークの部分は、他の携帯電話事業者でも専用ハードウェアからソフトウェアへの切り替えが行われており、国内でも大手キャリアが約3年前から仮想化技術を商用導入しているほか、MVNOのソラコムは、コアネットワークをAWS上に構築するという斬新なアイデアを具現化した。しかしRANの部分では、信号の生成や無線機器の制御といった低レイヤーの処理が発生し、より高負荷かつシビアなリアルタイム性が求められるため、仮想化が進んでいなかった。楽天は米レッドハットの「OpenStack Platform」でプライベートクラウドを構築し、その上で米アルティオスターが提供する仮想化RANソフトウェアを実行することで、コアからRANまで全てのネットワークを仮想化した。
汎用サーバーを用いて、
専用のハードウェアに依存することなく無線アクセスネットワークを構築する
楽天は今年2月、アルティオスターに対して出資することも決定しており、同社の携帯電話事業にとって仮想化RANが絶対に欠かせない技術であることをうかがわせる。
これまでの通信機器は
メインフレーム時代の製品
いわゆる“キャリアグレード”の品質が求められるネットワークに仮想化を全面採用することが、大きな技術的チャレンジであることは想像に難くない。では、ビジネスの面から見て、このアーキテクチャーはどのような意味をもつのだろうか。
アルティオスターのアシュラフ・ダーホードCEOは、仮想化技術以前のネットワークインフラを次のように表現する。「これまで通信事業者が基盤としてきたのは、言うなればメインフレーム時代の製品だった。専用のハードウェアの上でカスタマイズされたソフトウェアが走っている。新たなサービスを投入するとなれば、ベンダーに開発を依頼しなければならなかった」
アルティオスター
アシュラフ・ダーホード CEO
エンタープライズITの文脈になぞらえれば、専用の機器で構築されたネットワークは、メインフレームやオフコンに似た世界と言えるだろう。ベンダーが独自に設計したチップセットを中心としたハードウェアがあり、その上で専用のOSが動作する。アプリケーションソフトを開発するには、ベンダーに依頼するか、ユーザーがそのシステムの独自アーキテクチャーを学ぶ必要がある。他社のシステムとは互換性がないため、ベンダーの切り替えは容易ではない。ハードウェアの更新時、ソフトウェア資産を継承したければ、必然的に同じベンダーの製品を購入する必要がある。ユーザーは、信頼性やサポートの手厚さと引き替えに、高いコストを支払い続けることになる。
基調講演で楽天との協業を紹介するシスコシステムズの
チャック・ロビンスCEO
楽天の三木谷浩史社長は、MWCの基調講演で「従来の携帯電話網は、インターネットの世界とは別個のものになっていて、中がどうなっているのか分からない不可解なものだった」と述べ、通信事業者のインフラが高コストな背景には“ベンダーロックイン”の問題があったと指摘する。ITの世界では、金融や社会インフラなどミッションクリティカルな領域でもオープン系システムが当然のように活用されているが、楽天は同様の考え方を携帯電話網に持ち込み、しかもリソースや運用の効率を高められるクラウドの技術を採用した。「私たちはインターネットの技術を活用し、非常にシンプルなネットワークを作り上げた」(三木谷社長)。
業界の受け止め方はさまざまだ。「楽天はまさに正しいことをやろうとしている。現代的なテクノロジーを駆使してゼロからネットワークを構築するのであれば、あのようなデザインになるのは当然だろう」(ハードウェアベンダー)という意見がある一方、「楽天は投資額が当初計画の6000億円以下で済むと主張しているが、RANの仮想化でそこまでコスト効率が高まるものだろうか」(携帯電話事業者)と、懐疑的な見方をする関係者も少なくない。
ただ、通信市場におけるプレイヤーの顔ぶれが変化しつつあるという点では意見は一致している。ハードウェアを持たず、ソフトウェア技術だけで市場を席巻する企業が通信の世界にも登場するだろう。また、どんな製品を提供しているかよりも、さまざまな異なる技術をインテグレーションする知見の価値がさらに高まることが予想される。
楽天の仮想化ネットワークでは、シスコシステムズがシステム構築の主要部分を担当した。企業ネットワークの市場では絶大なシェアをもつシスコだが、LTEなどのRAN製品は有していなかったため、これまでMWCでは他の通信機器ベンダーに比べ同社の存在感は小さかった。対して、今年のシスコは話題の中心である。
メインフレームからクライアント/サーバーシステム、そしてクラウドへといったITの歴史と、通信市場が同じ道筋を歩むとすれば、通信事業者における仮想化技術の採用拡大は、IT系のベンダーがモバイル通信の市場に攻め込む好機になると言えるだろう。
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