「人間というエッジ」に
新たな体験を提供
エッジコンピューティングは、IoTのデータ処理の側面で語られることが主で、その目的は省力化、自動化、無人化など機械的な処理に向いているケースが多い。ところが、機器やセンサーでなく「人こそがエッジ」と主張するのが、NECのデジタルプラットフォーム事業部技術主幹の岡山義光氏だ。
NEC
岡山義光 技術主幹
岡山技術主幹は、NECの事業全体に生かす基本的な技術を研究開発する部門に所属しており、同社が取り組む社会課題解決のためのエッジコンピューティングを提案する。岡山技術主幹のチームが考えるエッジコンピューティングとは、リアルとサイバーの境界をつなぐテクノロジーを指す。環境や機械が生み出す物理現象データをクラウド処理するIoTの世界はもちろんだが、もう一つ、人間が生み出す五感情報をデジタル空間で処理する「知覚処理」が必要だというのがNECの考え方だ。
「エッジコンピューティングの分野で『人』に着目しているのは、おそらくNECだけだろう。これまで人が行ってきた作業や業務をITが代行するためには、人間の知覚をデジタル化して取り込むことが必要。いわゆる五感のセンシング技術、行動のためのロボット技術、それらを学習するためのAIの技術を高めていくことが求められる。さらに、それらのデータをナレッジとして共有することも必要だ。これらの人にまつわる情報をサイバー空間に取り込む部分を、もう一つのエッジとして定義している」と岡山技術主幹は説明する。
人というリアルに存在する資源を生かし、人が生んだデータをサイバー空間で処理して再び人に返すには、「誰にとってのサービスなのか」が重要になる。そのため、個人を特定するデジタルIDの技術が、これらの技術の基盤になるという。
「ヒアラブル」の持つ
可能性
そのためにNECが新たに開発したエッジデバイスが「ヒアラブル」だ。「聞く(Hear)」と「ウェアラブル(Wearable)」をかけた造語で、すでに広報発表されているものだが、いよいよ今年度内に実機が市場に投入される。まずはソフトウェアとハードがセットになったトライアルパッケージから発売される予定だ。
NECが開発したヒアラブルデバイス
ヒアラブルは、耳穴にセットするイヤホンのような装置で、実際にイヤホンとしての機能も果たす。耳穴内に人には聞こえない周波数の音を、音の反響の仕方をID化して個人を特定し、それで認証を済ませるシステムだ。生体認証の精度を示す他者受入率は、顔認証と同程度の1万分の1を確保している。
最大の特徴は、装着していれば常時本人の認証が行われている点にある。カメラで顔を撮影する、指紋をリーダーに当てるなどの都度の認証でなく、耳にセットしているだけでいい。例えば、セキュリティゲートの前に立つだけで、ETCのゲートを車が通過するように認証が済んでしまう。
またマイクも内蔵し、イヤホンでシステムと音声で情報をやり取りすることもできるため、パーソナライズされ、かつ状況に合わせた情報を得ることができる。
最初に出荷されるヒアラブルデバイスは、Bluetoothなどの通信機能のほか、加速度センサー、温度センサーなども備え、個人認証にプラスしてサービスプロバイダーがさまざまなアプリケーションを開発できるハードウェアとなっている。工場やプラントなどの作業支援では、翻訳機能による多言語での作業指示や、バイタルデータの連携による体調管理など、業務の現場ですぐに使えそうな応用例が考えられている。
「常に個人が特定できている状態では、利用者にこれまでにないきめ細やかな顧客体験を提供することができる。位置情報やキャッシュレス決済との組み合わせで新しいサービスの提供も期待できるし、さまざまなシーンで生活や仕事を支援できる」(岡山技術主幹)
5Gの低遅延やクラウド技術のエッジ利用に加えて、ヒアラブルのような個人認証の精度向上も、新しいサービスを生み出すきっかけになりそうだ。
エッジサーバーは「持ち運べるデータセンター」へ
ハードメーカーの最新製品
コンピューターハードのメーカーからも、エッジコンピューティングの可能性を広げる新製品が相次いで登場している。従来機よりさらに高性能、コンパクトになり、従来のエッジコンピューティングよりもはるかに重い処理もらくらくこなす能力を売りにしている。
エッジハードウェアのキーワードは、「エッジAI」への対応だ。高性能プロセッサーの搭載でAI処理をエッジで実現する可能性が見えてきている。最近の2社の発表を見てみよう。
沖電気工業が19年10月に発表した「AE2100」は、同社が久しぶりに開発した産業用コンピューターだ。CPUにはインテルの低消費電力製品であるAtomプロセッサーを採用し、同じくインテル製のAIアクセラレーター「Myriad X」を搭載可能としている。その構成で20万円台と価格も安い。それでいて工場など過酷な環境で使用できる高い環境性能も備える。
沖電気が開発したエッジコンピューター
「AE2100」
沖電気はIoTのデータ増加、5Gなどワイヤレスの大容量化によってクラウドの負担回避が課題になる中、エッジコンピューティングの高度化が進むと判断。「エッジにAIを展開しようとした際に、いいエッジコンピューターがなかったから自分たちで作った」(沖電気の常務取締役情報通信事業本部長の坪井正志氏)という。
導入のハードルが低いことも武器だ。同等の能力を備えた従来機の約半分のコストで導入が可能という。「AIエッジパートナーシッププログラム」も開始し、電子部品メーカーに加え、10社以上のAIソフトウェア開発企業などが参加を表明。手軽にIoTのエッジAIを構築できる点で注目の高さをうかがわせる。
一方、日本ヒューレット・パッカード(HPE)は、19年11月にエッジコンピューター「HPE Edgeline」シリーズの新製品として、高密度のエッジコンピューティング用サーバー「HPE Edgeline EL8000 Converged Edge System」を発売した。コンバージド・エッジシステムと名付けられた通り、5G時代に求められる大容量のデータ処理をコンパクトなサイズで実現するエッジサーバーだ。
HPEのエッジサーバー
「HPE Edgeline EL8000 Converged Edge System」
19インチラック半分の幅(22.1cm)、5Uの高さ(21.2cm)というほぼ正方形のフロントパネル、奥行きは43.2cmで、単体で電源、CPU、ネットワーク、そして機械学習に利用できるGPUの4枚のServer Bladeの内蔵が可能。その気になればこれを通常のマウントラックに4機連結して、16CPUのサーバーとして設置できる。従来のエッジサーバー製品の上位機種として発売する。
工場や小売チェーンなどが期待を寄せるローカル5G環境でのプライベートクラウドネットワークの中に設置可能で、大量データのエッジでのAI分析などに利用できるとしている。HPEはこれまでにグローバルでサムスン、ノキアなどのネットワーク企業と提携し、MEC(マルチアクセス・エッジコンピューティング)の導入を進めており、新しいサーバーはその対応力をさらに強化する。
「Edgeline EL8000はデータセンターレベルの能力を備えたエッジサーバー。固定したエッジだけでなく、災害時の現地対策拠点など、どこにでも人の手で運んでいき、従来よりも過酷な環境下で文字通りデータセンター並みの高度なデータ処理を可能にする。コンピューティングの新たな可能性をひらく製品だ」と日本ヒューレット・パッカードの執行役員ハイブリッドIT事業統括の五十嵐毅氏は話している。
日本ヒューレット・パッカード
五十嵐 毅 執行役員
記者の眼
エッジコンピューティングはハード、ソフトの両面で進展著しい一方で、どこまでが「エッジ」なのか、その境界は曖昧になってきている。企業にとっては、テクノロジーが多彩になったことで選択肢も広がり、データの質や量、提供するサービスの目的によって自在な組み合わせができるが、逆にシステム設計にセンスが問われているともいえるだろう。エッジはもともと日本企業の強みが発揮できる領域だけに、エッジデータの活用による業務の効率化や、エッジの処理能力を生かした新しいサービスの登場を期待したい。