Special Feature
日本のスパコン活用の現在地 富岳の共用がスタート、期待される成果
2021/04/30 09:00
週刊BCN 2021年04月26日vol.1872掲載

理化学研究所(理研)と富士通が共同開発したスーパーコンピューター「富岳」が、2021年3月9日に共用を開始した。スーパーコンピューターの性能を競う世界ランキングでは2位以下に大きな差をつけて1位を獲得。本稼働前から新型コロナウイルス感染症の研究や対策のために活用されるなど、大きな注目を集めている。いよいよ研究機関や民間企業での本格活用が始まる富岳は社会のイノベーションにどんな貢献をするのか。富岳を頂点とする日本のスーバーコンピューターの開発・活用の取り組みを追った。
(取材・文/大河原克行 編集/前田幸慧)
新型コロナ対策にも活用 本稼働前から数々の実績を生む
富岳は、スパコン「京」後継機の開発に向けた文部科学省の「フラッグシップ2020プロジェクト」により、2014年に開発がスタートした。富士通が開発、生産、評価を行い、19年12月から理研に搬入され、20年5月に設置が完了。その後チューニングなどの整備を経て、21年3月に共用を開始した。もともと21年度の稼働が予定されていたが、「国民の期待も高いことから補正予算を活用して整備を前倒しし、20年度内にフルスペックで利用を開始することにした」(文科省の萩生田光一大臣)という。
共用が開始されるまでの間にも、富岳は多くの話題を提供した。19年11月には、富岳のプロトタイプが消費電力性能を実証する「Green500」で世界1位の座を獲得。20年6月には、理研に設置された富岳の6割程度のリソースを動かした段階で、スパコンの性能を示す世界ランキングで上位を独占。LINPACKの実行性能を指標とした「TOP500」で首位となったほか、実際のアプリでよく使われるCG法のプログラムで性能を評価する「HPCG(High Performance Conjugate Gradient)」、低精度演算での演算能力を評価し、AI処理能力評価を行う「HPL-AI」、超大規模グラフの探索能力で計算機を評価し、ビッグデータ分析などでの性能を示す「Graph500」の4部門において、いずれも2位に大差をつけて世界1位を獲得した。日本のスパコンが性能ランキングで首位となったのは、京が首位を獲得して以来、8年半ぶりのことだった。
そして、20年11月に発表された最新ランキングでも、4部門で首位を維持。TOP500では2位の米国Summitに約3倍の性能差をつけ、HPCGでは同じく2位のSummitに約5.5倍の性能差、HPL-AIでは約3.6倍の性能差となった。また、Graph500では2位の中国Sunway TaihuLightに4倍以上の性能差をつけている。スパコンの性能競争は日本、米国、中国が競ってきたが、富岳によって日本は一歩抜き出た格好だ。
HPCIコンソーシアムの朴泰祐理事長(筑波大学計算科学研究センター教授)は、「米中におけるエクサスケールシステムのスパコン開発プロジェクトは軒並み遅れており、米国エネルギー省(DOE)の『Aurora』は、18年の完成といわれていたものが、22年にまでずれ込むといわれている。中国3大エクサスケール計画も、今は情報が表には出てきていない。それに対して、富岳はすでに稼働し、成果を出し始めている」と胸を張る。
また富岳では、文科省との連携によって、整備に支障がない範囲で約6分の1のリソースを優先的に供出し、新型コロナ対策に貢献する研究開発プロジェクトを複数実施してきた。「新型コロナウイルスの治療薬候補同定」では、2128種類の既存医薬品の中から、新型コロナの標的タンパク質と高い親和性を示す治療薬候補を探索し、数十種類の物質を発見。「室内環境におけるウイルス飛沫感染の予測とその対策」においては、オフィスや教室、病室、飲食店、カラオケボックス、バス、飛行機などの室内環境において、ウイルス飛沫による感染リスクをさまざまな条件下で評価し、空調や換気、マスクなどを活用したリスク低減対策を提案した。これらは従来のスパコンでは実現できなかったものであり、共用開始前から富岳の成果が生まれている。
高性能だけでなく汎用性の高さが武器に
4部門で世界一の性能を発揮していることからもわかるように、富岳の特徴は、単に高性能というだけではない。幅広い分野で汎用的に利用できるという点がこれまでのスパコンとは異なる。
R-CCSの松岡センター長は、「四つの部門は、クルマに例えればスピード重視の性能と、買い物でどれくらいの荷物が積めるかといった性能を比べるぐらいに幅広い。富岳は、スーパーカーと同等以上の性能を持つファミリーカーを実現したともいえる」と説明する。
「富岳」
富岳は、Armのv8-A命令セットをスパコン向けに拡張した「SVE」を使用し、独自開発した「A64FX」と呼ばれるチップを採用している。水冷構造を採用したCPUメモリユニットにはCPUが2個ずつ搭載され、これをラックの片側に96個搭載。反対側にも同数が搭載されている。つまり、一つのラックに192枚のCPUメモリユニット、384個のCPUが搭載されていることになる。このラックが全部で432ラックあり、15万8976ノードで構成され、10万本以上の光ケーブルを使って、それぞれが400Gbpsの高性能ネットワークで接続されている。
「スマートフォンに換算すると2000万台分の性能となる。これは国内で年間に販売されるスマホの数に匹敵する性能。富岳が2~3台あれば、日本のITのすべてをカバーできる性能を持つ」(R-CCSの松岡センター長)という。それだけの性能を持ちながら、従来のスパコン向けアプリの利用にとどまらず、広い応用分野への対応を実現しており、そこにArmの汎用性が生きている。
A64FXは、スマホなどに用いられる汎用Arm CPUの上位互換CPUとして、富士通がゼロから開発したものだ。製造は台湾のTSMCで行い、7nm FinFETプロセスによって生産されている。全世界で何百億も使われているArmのソフトウェアが直接利用でき、極端にいえば「PowerPoint」でさえも利用できる。
その汎用性を生かしながら、「コデザイン」と呼ぶ手法を用いて、ハードウェアとソフトウェアを並行して開発することで、富岳の活用による課題解決を想定している特定の分野における代表的なアプリケーションの動作を高い性能下で実現。富岳が完成したときには、すぐにアプリケーションが利用できるようにした。「CPUの性能やメモリ性能、メモリ容量、ネットワーク性能などの各種パラメータを、代表的アプリケーションを想定して設計した。同時にアプリケーション開発者を巻き込んで、システムの制約を意識しながら、アルゴリズムを変えたり、アプリケーションを改変するといった作業を並行して行った」(HPCIコンソーシアムの朴理事長)という。
また、R-CCSの松岡センター長も、「あらゆるソフトウェアを利用でき、AIの強化機能も搭載している。例えば、新型コロナの飛沫感染シミュレーションは、自動車の内燃機関の燃料噴射のシミュレーションを生かしたものであり、アプリケーションの研究開発を同時に行っていたからこそ、今回の危機に迅速に対応できた。アプリの開発まで2~3年待つというような状況にはならなかった」とする。富岳の汎用性の高さは、すでに生かされているというわけだ。
日本のスパコンを支える富岳と八ヶ岳
富士山のような高い性能と、裾野の広い汎用的な能力を持つことから、「富岳」と命名された世界最高性能を発揮するスパコンとは別に、日本には「八ヶ岳」と呼ばれるスパコンがある。
あまり聞きなれないスパコンかもしれない。実際、この名称は関係者の間で用いられる言葉で、正式名称ではない。そして、一般的に使われることはなかったため、当然といえば当然だ。
では、八ヶ岳と呼ばれるスパコンとは何か。
文科省では、「革新的ハイパフォーマンス・コンピューティング・インフラ(HPCI=High Performance Computing Infrastructure)」を推進している。この中核システムとして開発したのが富岳だ。そして富岳を頂点に、日本のHPCIを構成するのが八ヶ岳ということになる。
日本のHPCIは、フラッグシップとなる富岳と、北海道大学、東北大学、筑波大学、東京大学、東京工業大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の九つの大学が持つスパコン、海洋研究開発機構(JAMSTEC)、統計数理研究所(ISM)の二つの国立研究所が所有する第2階層のスパコン群により形成し、計算資源やストレージを、国立情報学研究所(NII)の高速ネットワーク「SINET5」で結び、一つの認証基盤のもとで利用できる共用計算環境基盤だ。
かつては、それぞれの大学や研究所が独自にスパコンを調達し、独立したプログラムで動かしていた。だが、HPCIコンソーシアムの前身であるHPCI準備段階コンソーシアムの提言を受けて、京が稼働した12年9月から、フラッグシップと第2階層のスパコン群によってHPCIを形成し、文科省委託事業として共用計算環境基盤を整備。ネットワークで結んだ共用が開始された。
HPCIコンソーシアムの朴理事長は、「フラッグシップの富岳は独立峰。そして、第2階層のスパコン群は八ヶ岳。八ヶ岳という一つの山はないが、数々の特徴的な連山が八ヶ岳を構成しているのと同じ」だとする。
19年8月に京が停止し、今回の富岳が共用開始された21年3月までの期間、日本にはフラッグシップとなるスパコンがなかったが、この間、第2階層のスパコン群である八ヶ岳が、日本の科学技術計算を支えたのである。「富岳が共用開始となったことで、日本のHPCIの主役が戻ってきたことになる。日本のHPCIが完全形になった」と、朴理事長は語る。
こうした共用利用は海外でも一般的だ。米国ではINCITEやXSEDEと呼ばれる共用インフラがあり、欧州でもPRACEやEuro HPCと呼ばれる共用インフラがある。
だが、RIST神戸センターの奥田基・副センター長は、「日本のHPCIは、世界に類を見ないスーパーコンピューティング環境を実現している」と強調する。
その理由の一つが、計算資源の総量の大きさだ。21年度にHPCIで利用できる計算機の資源総量は250ペタフロップスに達し、信頼性が高い二重化された共用ストレージは45ペタバイトに達するという。「これだけの資源総量は世界にはない」と語る。
もう一つの理由が、産業利用が積極的に行われているという点だ。奥田副センター長は、「産業利用は京から始まった。学術利用にとどまらず、産業利用も積極的に推進する制度は、世界にはほとんどない」と指摘する。
文科省が示した富岳の資源配分では、全体の約45%の資源をHPCIによる公募で利用。うち、全体の約40%が一般利用となっている。また、産業利用は、富岳全体の約10%の資源が配分されることになり、そのうち半分程度が公募による利用、残り半分程度がSociety 5.0推進枠となっている。また、成果創出加速(科学的・社会的課題の解決に直結し、成果の創出が早期に見込める課題への活用)で全体の約40%、高度化・利用拡大のための研究で約10%、それ以外に政策対応にも利用されることになる。

「富岳では、産業界に寄り添う伴走型支援プロジェクトを新設し、『産業利用の広場』『初めてのHPCI』など、富岳の情報を産業界向けに発信している。産業界を中心に利用が多い著名なフリーソフトウェアを富岳で使えるようにした。また、AIやデータサイエンスで利用されるツールやライブラリなどの利用を可能にするように整備を行っている」という。
20年10月に募集され、21年3月から富岳で共用利用が開始されているA期募集においては、採択された74件のうち、22%が産業利用になっているという。
富岳は、「健康長寿社会の実現」「防災・環境問題」「エネルギー問題」「産業競争力の強化」「基礎科学の発展」の五つの社会的・科学的課題において活用されることが前提となっている。産業利用においてもこれは同じだ。
具体的には、この五つの課題をもとに、「生体分子システムの機能制御による革新的創薬基盤の構築」「個別化・予防医療を支援する統合計算生命科学」「地震・津波による複合災害の統合的予測システムの構築」「観測ビッグデータを活用した気象と地球環境の予測の高度化」「エネルギーの高効率な創出、変換・貯蔵、利用の新規基盤技術の開発」「革新的クリーンエネルギーシステムの実用化」「次世代の産業を支える新機能デバイス・高性能材料の創成」「近未来型ものづくりを先導する革新的設計・製造プロセスの開発」「宇宙の基本法則と進化の解明」の九つの重点課題に取り組むことになる。さらに、萌芽的課題として、「基礎科学」「社会経済現象」「太陽系内外惑星形成」「神経回路、人工知能」の四つのテーマにも取り組むことになる。

理化学研究所(理研)と富士通が共同開発したスーパーコンピューター「富岳」が、2021年3月9日に共用を開始した。スーパーコンピューターの性能を競う世界ランキングでは2位以下に大きな差をつけて1位を獲得。本稼働前から新型コロナウイルス感染症の研究や対策のために活用されるなど、大きな注目を集めている。いよいよ研究機関や民間企業での本格活用が始まる富岳は社会のイノベーションにどんな貢献をするのか。富岳を頂点とする日本のスーバーコンピューターの開発・活用の取り組みを追った。
(取材・文/大河原克行 編集/前田幸慧)
新型コロナ対策にも活用 本稼働前から数々の実績を生む
富岳は、スパコン「京」後継機の開発に向けた文部科学省の「フラッグシップ2020プロジェクト」により、2014年に開発がスタートした。富士通が開発、生産、評価を行い、19年12月から理研に搬入され、20年5月に設置が完了。その後チューニングなどの整備を経て、21年3月に共用を開始した。もともと21年度の稼働が予定されていたが、「国民の期待も高いことから補正予算を活用して整備を前倒しし、20年度内にフルスペックで利用を開始することにした」(文科省の萩生田光一大臣)という。
共用が開始されるまでの間にも、富岳は多くの話題を提供した。19年11月には、富岳のプロトタイプが消費電力性能を実証する「Green500」で世界1位の座を獲得。20年6月には、理研に設置された富岳の6割程度のリソースを動かした段階で、スパコンの性能を示す世界ランキングで上位を独占。LINPACKの実行性能を指標とした「TOP500」で首位となったほか、実際のアプリでよく使われるCG法のプログラムで性能を評価する「HPCG(High Performance Conjugate Gradient)」、低精度演算での演算能力を評価し、AI処理能力評価を行う「HPL-AI」、超大規模グラフの探索能力で計算機を評価し、ビッグデータ分析などでの性能を示す「Graph500」の4部門において、いずれも2位に大差をつけて世界1位を獲得した。日本のスパコンが性能ランキングで首位となったのは、京が首位を獲得して以来、8年半ぶりのことだった。
そして、20年11月に発表された最新ランキングでも、4部門で首位を維持。TOP500では2位の米国Summitに約3倍の性能差をつけ、HPCGでは同じく2位のSummitに約5.5倍の性能差、HPL-AIでは約3.6倍の性能差となった。また、Graph500では2位の中国Sunway TaihuLightに4倍以上の性能差をつけている。スパコンの性能競争は日本、米国、中国が競ってきたが、富岳によって日本は一歩抜き出た格好だ。
HPCIコンソーシアムの朴泰祐理事長(筑波大学計算科学研究センター教授)は、「米中におけるエクサスケールシステムのスパコン開発プロジェクトは軒並み遅れており、米国エネルギー省(DOE)の『Aurora』は、18年の完成といわれていたものが、22年にまでずれ込むといわれている。中国3大エクサスケール計画も、今は情報が表には出てきていない。それに対して、富岳はすでに稼働し、成果を出し始めている」と胸を張る。
また富岳では、文科省との連携によって、整備に支障がない範囲で約6分の1のリソースを優先的に供出し、新型コロナ対策に貢献する研究開発プロジェクトを複数実施してきた。「新型コロナウイルスの治療薬候補同定」では、2128種類の既存医薬品の中から、新型コロナの標的タンパク質と高い親和性を示す治療薬候補を探索し、数十種類の物質を発見。「室内環境におけるウイルス飛沫感染の予測とその対策」においては、オフィスや教室、病室、飲食店、カラオケボックス、バス、飛行機などの室内環境において、ウイルス飛沫による感染リスクをさまざまな条件下で評価し、空調や換気、マスクなどを活用したリスク低減対策を提案した。これらは従来のスパコンでは実現できなかったものであり、共用開始前から富岳の成果が生まれている。
高性能だけでなく汎用性の高さが武器に
4部門で世界一の性能を発揮していることからもわかるように、富岳の特徴は、単に高性能というだけではない。幅広い分野で汎用的に利用できるという点がこれまでのスパコンとは異なる。
R-CCSの松岡センター長は、「四つの部門は、クルマに例えればスピード重視の性能と、買い物でどれくらいの荷物が積めるかといった性能を比べるぐらいに幅広い。富岳は、スーパーカーと同等以上の性能を持つファミリーカーを実現したともいえる」と説明する。
「富岳」
富岳は、Armのv8-A命令セットをスパコン向けに拡張した「SVE」を使用し、独自開発した「A64FX」と呼ばれるチップを採用している。水冷構造を採用したCPUメモリユニットにはCPUが2個ずつ搭載され、これをラックの片側に96個搭載。反対側にも同数が搭載されている。つまり、一つのラックに192枚のCPUメモリユニット、384個のCPUが搭載されていることになる。このラックが全部で432ラックあり、15万8976ノードで構成され、10万本以上の光ケーブルを使って、それぞれが400Gbpsの高性能ネットワークで接続されている。
「スマートフォンに換算すると2000万台分の性能となる。これは国内で年間に販売されるスマホの数に匹敵する性能。富岳が2~3台あれば、日本のITのすべてをカバーできる性能を持つ」(R-CCSの松岡センター長)という。それだけの性能を持ちながら、従来のスパコン向けアプリの利用にとどまらず、広い応用分野への対応を実現しており、そこにArmの汎用性が生きている。
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