Special Feature
ディストリビューターサミット SB C&S、シネックスジャパン、ダイワボウ情報システム、ネットワールド、大手4社のトップが集合
2021/10/18 09:00
週刊BCN 2021年10月18日vol.1895掲載
多様なニーズがある市場には多様なプレイヤーが必要
地方のパートナーを地道に支援すべし本多(週刊BCN編集長) 先ほどDISの松本社長から、大都市圏と地方の格差というお話がありました。コロナ禍はその格差をさらに広げてしまったような感触もあります。日本を元気にするという意味では、IT業界が地方のDX基盤整備をいかに支援できるかも重要なテーマです。地方のパートナーの変革支援や地方市場の活性化にディストリビューターがどう取り組むべきかもうかがいたいです。
松本 地方の大手企業案件は、全国系の大手ベンダーが受注されることが多くて、地場のベンダーは導入やサポートなどの仕事を下請けされるパターンが一般化していますよね。でもこれは地場のベンダーにとって、なかなか先が見通せないビジネスです。各エリアのパートナーが新しいテクノロジーを勉強して、自社のオリジナルのサービスなども組み合わせながら価値あるソリューションパッケージをつくって、地元のユーザーに提供する。それを支援するのがディストリビューターの仕事だと思うんですよ。
より具体的には、各社のソリューションとAメーカー、Bメーカーのプロダクトを組み合わせて、SaaS化などモダンなビジネスモデルへの転換をバックヤードでサポートするというイメージです。こういった活動では、新しい技術を勉強する機会を提供していくことも重要ですね。ただ、いずれにしても成果が大きくなるまでには時間がかかる地道な取り組みだと覚悟しています。
森田 大都市圏と地方の文化の違いも一種のJAPANモデルですが、これはなかなか崩すのが難しいですね。エンドユーザーとSIerの関係を崩す以上に難しいと思います。
ネットワールドは東名阪と九州しか拠点がないんですけど、規模が小さい支店になると、東京のモデルが通用しづらくなります。
本多 地域の実情に沿ったパートナー支援などを地道にやっていくしかないということでしょうか。國持社長、グローバルディストリビューターとしてはどう考えておられますか。
國持 エリアの戦略に関してはかなり悩んでいます。DIS然り、既にその地域でビジネスを展開されているプレイヤーがいる中で、同じような商材を我々が持ち込んでも、バリューがないんですよ。ボブ・ファンが社長だった時代に地方の営業所をかなり閉じたという事情もあって、拠点からの支援体制でも競合優位性があるわけではないです。
発想を変えて、グローバル市場や米国市場でうまくいっていて、独自の価値を提供できる商材を日本に持ってきてテンポよく届けることができれば、規模が大きくならなくても地方に貢献できるんじゃないかと思っています。まずは新たな市場開拓を先導して、価値がある程度浸透したら、DISやSB C&Sなど大手ディストリビューターに本格的な拡販をしていただくという構図も大いにアリだと思っていて。そういう役割分担がトータルでは市場にとって一番いいんじゃないかなと。
本多 結構大胆な発想ですよね。でも、非常に面白い。溝口社長はいかがでしょうか。
溝口 地方のビジネスも、官公庁や地場の大手企業がユーザーの場合と、中小企業がユーザーの場合はちょっと違うんですね。官公庁や地場大手の案件は、松本さんが指摘されたとおり、全国展開しているSIerなどが強いですから、そこに対抗できるようなスキルを地方の有力パートナーにも普及させる取り組みをしていかなきゃいかんとは思っています。
ただ、より重要なのはSMBに先進的なITをしっかり使ってもらうためのアプローチだと考えています。これは地方でも東名阪でも同じかもしれません。通信サービスはこれからのあらゆるビジネス、業務で不可欠ですから、グループとしてこれを提供しているということをキーにして、クラウドサービスを使う文化を醸成することで、その一助にできればと思います。
本多 通信サービスという強力なフックがあるにせよ、クラウドサービスを使う文化を醸成していくというのはハードルが高そうです。
溝口 クラウド化して何が良くなるのか、TCOが大幅に下がるとか、継続的なバージョンアップにより事業環境の変化に対応しやすくなるとか、メリットをもっとしっかり可視化して啓発していく努力は我々にも必要でしょう。
四者四様の強みで市場を支え 業界の未来図も議論を
奥田 まとめに入りましょう。これまでのお話をうかがって、自分なりにこんなふうに整理できました。
森田さんのところはJAPANモデルに寄り添い、その改善に貢献するビジネス。松本さんのところは地方の隅々まで丁寧にカバーするオールジャパン網羅型のモデル。國持さんのところはグローバルな母体を生かして海外の新しい商材を積極的に発掘・提供するグローバル立脚モデル。溝口さんのところは、グローバルな有望商材の価値を定着させて日本企業の経営をアップデートすることに重きを置いている。
日本って、田舎へ行ったら本当に今も古き良き日本の田園風景が広がっているじゃないですか。でも東京へ来ると西欧的な要素が増える。これだけ多様性のある日本の企業や社会のDXを推し進めていくには、やっぱり4社が必要なんだなと腑に落ちちゃうんですよね。4社それぞれに存在意義と役割がある。
松本さんのご提案である業界共通プラットフォームは、ぜひ検討してほしいですね。実現しなくてもいいから、経営者が集まって理想を語り合うのは面白いと思いませんか。今の経営者にはできないかもしれないけど、10年先の経営者なら実現できるかもしれない。ロマンがあります。
最後は私たちの創刊40周年企画でもありますので、これからの業界や社会の発展に向けてメディアに期待することをうかがって締めくくりたいと思います。
森田 IT業界を扱うメディアでも、ディストリビューターっていうのは軽視されがちだと思っているんです。いまだにディストリビューター不要論のような主張が聞こえてくることもありますし。週刊BCNは業界の構造を理解されて、それをしっかり報道してくれている。ディストリビューターの価値を知らしめることにもつながっていますよね。今回の座談会もBCNならではでしょうし、次は50周年でもぜひこういう企画をやっていただきたいですね。
松本 今日はこういう機会を設けていただき、感謝申し上げます。もともとの親会社である大和紡績は素材屋で、非常に多様な製品に使われているんですが、表に名前が出ることはありません。ディストリビューターである当社も同様の黒子会社です。森田さんもおっしゃったように、ディストリビューターの役割を的確に表現していただいて、非常にありがたい企画となりました。
國持 メディアってどうしても面白い記事を書きたがるので、今回のような企画もディストリビューター間の対立構図を持ち出しがちですよね。週刊BCNはそこを冷静に見て実態を正確に汲み取ろうとしてくれるので、こちらも本音に近いところをお話しできるところがあります。安心感のある貴重な媒体だと思っていますので、引き続きよろしくお願いします。
溝口 この40年、IT業界専門メディアも栄枯盛衰があった中でBCNがなぜ残っているのか。業界の中に入り込んで、上っ面の記事じゃなくて読む人が共感できる記事を出し続けてきたということだと思います。この文化はぜひ継続していただきたい。先ほど申し上げたように、パートナービジネスは日本では絶対になくならないし、むしろもっともっと大事に育ててパワーをつけていかなきゃいけない。その羅針盤となることを期待しています。
ただ、多くのITベンダーとも同様の課題ですが、DXの啓発をしているのに自社のDXが不十分な場面も見られる気がします(笑)。DXを実践するメディア企業としての文化もつくっていただきたいですね。
奥田 最後に強力な叱咤激励もいただきました(笑)。いいディスカッションができたと思います。皆さんありがとうございました。
■PROFILE
SB C&S 代表取締役社長 兼 CEO
溝口泰雄
1956年、長野県生まれ。同志社大学商学部卒業後、81年に諏訪精工舎(現セイコーエプソン)に入社。93年、日本IBMに。2000年、ソフトバンク・コマース(現ソフトバンク)に移り、01年に取締役に就いた。03年にソフトバンク・コマースと他3社の合併によりソフトバンクBB(15年にソフトバンクが吸収合併)が発足後、06年、ソフトバンクBBのコマース&サービス統括に就任。07年、取締役常務執行役員。14年4月1日、ソフトバンクBBのコマース&サービス事業部門が分社・独立して誕生したソフトバンク コマース&サービス(現SB C&S)の代表取締役社長兼CEOに就任(現職)。
■COMPANY DATA
(SB C&S)
ソフトバンクBBからIT流通事業(コマース&サービス事業)部門が分社・独立し、ソフトバンク コマース&サービスとして2014年4月1日に発足。法人向けIT製品・サービスの大手ディストリビューターとして存在感を放つ。19年1月1日にSB C&Sに社名変更。21年3月期の売上高は5559億円、従業員数は1859人。
■PROFILE
シネックスジャパン 代表取締役社長
國持重隆
コンサルティング会社でサプライチェーン管理システムのプロジェクトなどに携わった後、ピープルソフトでコンサルタント、マイクロソフトでDynamics AXのプロダクトマネージャー、デルで法人向け事業戦略などを担当。2017年にシネックスインフォテック(当時)入社、執行役員に就任。18年12月1日付でシネックスジャパン代表取締役社長に就任。
■COMPANY DATA
(シネックスジャパン)
1962年、電子機器・部品商社の関東電子機器販売として設立。89年に丸紅が経営権を取得し、2001年に社名を丸紅インフォテックとした。10年に米IT商社大手シネックス・コーポレーションの完全子会社となり、シネックスインフォテックに社名変更。18年12月1日、現社名に変更。20年11月期の売上高は1187億円、従業員数674人。
■PROFILE
ダイワボウ情報システム 代表取締役社長
松本裕之
1966年生まれ。大阪府出身。89年3月、大阪工業大学経営工学科卒。同年4月にダイワボウ情報システム入社。販売推進部長兼業務部長、首都圏・関東営業本部副本部長、首都圏営業本部長、東日本営業本部長、取締役販売推進本部長などを経て、2018年に常務取締役西日本営業本部長。19年4月からは経営戦略本部長も兼任。20年4月、代表取締役社長に就任。
■COMPANY DATA
(ダイワボウ情報システム)
ダイワボウホールディングスグループの売上高の9割を占めるITセグメントの事業子会社。1982年設立。地方市場も含めて全国に93拠点の事業所を展開するITディストリビューター最大手。21年3月期売上高は9614億円、従業員数2047人。
■PROFILE
ネットワールド 代表取締役社長
森田晶一
1954年5月、高知県高知市生まれ。77年3月、九州大学工学部応用原子核工学科卒業。同年4月、東芝情報システム入社。79年2月、日本ディジタルイクイップメント入社。ソフトウェア・サービス部、営業本部、マーケティング部などでの業務に携わる。95年2月、ネットサーブに。営業部長を務めた後、98年4月、取締役マーケティング部長に就任。2000年10月、合併によりネットワールド入社。取締役マーケティング本部長などを経て、09年3月、代表取締役社長に就任。
■COMPANY DATA
(ネットワールド)
ノベル製品などの日本国内ディストリビューターとして1990年に設立。2000年にネットサーブと合併した。ネットワーク・ストレージ、ITインフラ基礎製品などの販売に強いことに加え、早くから仮想化領域にも取り組み、技術力に長けたディストリビューターとしての地位を築く。20年12月期の売上高は1271億円、従業員数498人。

「競争」と「協業」で日本をアップデート
週刊BCNが40年間にわたって追いかけてきたIT流通の世界は、テクノロジーの進化とともに複雑かつ多様な進化を遂げている。もはやそれは「ITビジネスエコシステム」を形成する主要なパーツと捉えたほうが理解しやすいかもしれない。地方やSMBも含めた日本社会のDX推進においては、ITビジネスエコシステムのダイナミズムが成否のカギを握る。そしてその中核を成すのが、ITディストリビューターだ。業界のキーマンとも言える大手ディストリビューター4社のトップが一堂に会し、BCN創業者・週刊BCN主幹の奥田喜久男とともに、IT市場の来し方行く末を語り合った。
(構成・文/本多和幸 撮影/大星直輝)
■参加者
SB C&S 代表取締役社長 兼 CEO 溝口泰雄
シネックスジャパン 代表取締役社長 國持重隆
ダイワボウ情報システム 代表取締役社長 松本裕之
ネットワールド 代表取締役社長 森田晶一
モデレーター
BCN代表取締役会長兼社長・週刊BCN主幹 奥田喜久男
紆余曲折を経て生き残った老舗大手各社のストーリー
「NetWare」が育てたコンピューターのビジネス利用奥田 ディストリビューターというのは、業界の中でもなかなか個性が強い方々が多いですが、これだけの大物に一堂に集まっていただいてうれしいですね。何を話そうか考えましたが、過去の話を3割、あとは未来の話をしましょう。
週刊BCNは今年で創刊40周年ですが、ソフトバンクと同い年です。(シネックスジャパンの前身の)関東電子は1962年設立ですからこの中では一番古いですね。ダイワボウ情報システム(DIS)とも(実質的な創業者である)山村(滋)さんの頃からのお付き合いですし、ネットワールドも紆余曲折がありましたね。
BCN
代表取締役会長兼社長・週刊BCN主幹
奥田喜久男
記者として最前線で皆さんの努力を見てきて、そんなに簡単に生き残ってこられたわけじゃないことを知っています。まずはどんな打ち手の結果として各社の今があるのか、開陳していただけますか。年齢順に行きましょうか(笑)、森田さん。
森田 一番バッターは緊張しますね。(サーバー専用のネットワークOSである)「NetWare」を提供していたノベルのディストリビューターとして、31年前に二つの会社がスタートしたのが当社の源流です。もともとのネットワールドという会社と、ネットサーブという会社ですね。それぞれ大塚商会とマクニカが株主でした。私は95年にネットサーブに加わったんですが、もともとはコンピューターメーカーにもいましたので、非常に面白いビジネスだと思いました。でも、これは調子が良かったから面白かったんですね。ご存じのように、ノベルの勢いが90年代後半に急速に衰えてしまって大きく状況が変わりました。
元のネットワールドもネットサーブも、親会社はいますから別に潰れはしないんですが、周りの人達からいろんな提案があって、2000年の合併に至るわけです。そんなことがあって、会社っていうのは勝ち残らないとつまらないもんだなというのを身に染みて感じまして。とにかく勝たないと駄目なんだと。合併した後、微力ながら仲間たちと一生懸命やって、負けないくらいには何とか生き残っているというところでしょうか。
代表取締役社長 森田晶一
奥田 森田さん、いつも控えめだけど、今日は控えめでなくていいからね。
森田 いやいや、私は控えめな人間ですから(笑)。
私自身は98年に契約したシトリックスとのお付き合いが非常に印象に残っています。テクノロジーに惚れ込んで、ぜひディストリビューターになりたいということで、自分で拙い英語で20枚くらいの提案書を書いて。気持ちが認められた部分もあるかもしれませんが、ディストリビューターにしてもらえたんです。合併した後にこのビジネスが急速に伸びまして、株主に「3年間はコミットする。3年後からは知りません、私がいるかどうかも分からない」と言った記憶があります。本当に苦しいときに助けてくれたシトリックスとの縁には、いまだに感謝しているんですね。
それと、ヴイエムウェアとの本当に幸運な出会いがあって、いまだに紹介していただいた元IBMの方などにお会いするとお酒の数杯ぐらいはご馳走いたしまして昔話をします。すごく光り輝くような経歴ではないかもしれませんが、残ってくれた仲間たちと楽しい仕事ができたというか、なんといっても幸せだったなと思っています。
奥田 年齢順だと、次は溝口さんですね。どうぞ。
溝口 まずは創刊40周年おめでとうございます。私自身も業界歴が40年ぐらいになります。昔はBCNの同業者も結構ありましたけど、ほぼなくなってしまいましたよね。森田さんもおっしゃいましたが、勝ち残っているというのは素晴らしい。
代表取締役社長 兼 CEO 溝口泰雄
奥田 お互いに、ですよね。
溝口 ソフトバンクグループの祖業であるディストリビューター事業は、孫(正義・ソフトバンクグループ会長兼社長)が初めてゲームソフトの流通をつくったことで立ち上がりました。PCがホビーの領域から浸透して、当初は我々の事業もそこに位置していたわけですが、「一太郎」や「Lotus 1-2-3」などの登場で、PCはビジネスに使えるぞと業界が変わっていった。これは非常に大きな転換点だったと思うんです。
さらに、先ほど森田さんがノベルの話をされましたが、NetWareが出てきて、コンピューターをネットワーク上で動かす時代が来た。当時はファイルサーバーとしての利用程度でしたけど、あれも法人向けIT市場を育てるキーファクターになったと思うんですね。
それ以降は“Wintel”の時代になって、マイクロソフトのOSとインテルのチップがアップグレードする度に新しいキラーアプリケーションが出るという繰り返しになりましたが、その動きを先取りしてビジネスをやってこられたという自負はあります。PCソフト流通から始めて、シスコなどネットワークの先進製品を持ってきたり、節目節目でポイントがありました。
同時に、「ザ・コン」を孫と一緒につくって、それがPCの普及に……
奥田 溝口さん、ザ・コンって言っても若い人は分からないかもしれませんよ。
溝口 失礼しました(笑)。秋葉原にラオックスと共同で「ザ・コンピュータ館」(07年閉店、かつては秋葉原の象徴だった)というPC専門店をつくって、家電量販店がコンピューターを本格的に売る、そして世間の皆さんがPCを認知する場をつくってきたんですね。
さらに時代が流れ、インターネットの時代になると、OSとチップが変わっても以前ほど面白いことは起こらなくなった。インターネットを経由して新しいサービスがどんどん提供され、世の中を動かすようになってきたわけです。そうしてクラウドが台頭する中でも、ポイントになるビジネスをいち早く手掛けられたという思いはあります。
奥田 溝口さんとは特に付き合いが長いから聞いちゃうんだけど、ソフトバンクグループはファンド事業を手掛けて、グループ全体としてもどんどん事業が多角化しましたよね。その中でSB C&Sは創業からの事業をやっていらっしゃる。これは溝口さんだからここまで来たのか、それとも溝口さんでなくても今の形があるのか、どう思います?
溝口 なかなか答えづらい質問ですね……。僕がいなくてもちゃんとやってきたとは思いますけど、生き残っているんだから何かの役には立ったんでしょうね。トラディショナルなビジネスモデルですけど、主力商材のニーズが一気に縮小してすごく大変な時期もありました。それでも業態を変えて成長を継続できましたし、そういう挑戦を楽しんでこられたとは思っています。
この記事の続き >>
- ダイワボウ情報システムは「季節の反物」の在庫を揃えて成長してきた
- 大きな葛藤を経てグローバル企業になったシネックスジャパン
- ニューノーマルな働き方にIT業界の経営者はどう向き合うべきか
- IT流通の業界標準プラットフォーム立ち上げも議論すべき
- ディストリビューターと販売店、両方が変わることで日本のDXは進む
- 多様な市場には多様な個性を持つ複数のディストリビューターが必要
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