4度目の緊急事態宣言解除が台風16号も連れてきてしまった10月1日、金曜日。東京・神田のBCNオフィスに週刊BCN歴代編集長の面々が集まった。創刊40周年の節目は、温故知新の大切さを改めて胸に刻む絶好の機会。BCNを離れた後も、それぞれの分野で活躍する先輩に話を聞かねばなるまい。とはいえ、いずれも強烈なパーソナリティーの持ち主である。果たして場を御しきれるか、自分が企画しておきながら甚だ不安な気持ちで先輩方の到着を待っていた、週刊BCN編集長・本多。嵐の中、歴代編集長座談会、もとい雑談会が幕を開ける――。

■参加者
第5代編集長/フリーランスジャーナリスト 大河原克行
第9代編集長/ニューズピックス ブランドデザイン Head of Creative 木村剛士
第10代編集長/GMOシステムコンサルティング 量子計算コンサルタント 畔上文昭

モデレーター
週刊BCN編集長 本多和幸

ゲスト 
第8代編集長 谷畑良胤
※記事後半の登場をお楽しみに!

ITベンダー、新経済メディア、フリーランス
それぞれの進路

本多 今日は台風の中集まっていただいて、ありがとうございます。木村さんは私がBCNに入社した時の編集長ですし、畔上さんとは入社時期がほぼ一緒。木村さんから畔上さんに編集長が交代してからは上司と部下という関係でした。お二人とも今でも時々お目にかかって情報交換したり、相談に乗ってもらったりしています。大河原さんには私が編集長に就任した後、週刊BCNで定期的に特集を執筆していただいています。先輩編集長と何らかの形でつながっているというのは、すごくうれしいですし、創刊40周年という節目でもありますので、一種の内輪向け企画ではありますが、フランクな座談会の場を持たせていただいたという趣旨です。

 では、早速始めましょう。まずは皆さんの近況からうかがいます。最近の編集長からいきましょうか。畔上さん、お願いします。

畔上 BCNを辞めた後、IT業界に戻りました。BCNを辞めて、メディア業界に残るという選択肢はなかったですよ。BCN大好きですから。

本多 あ、まあ……はい、続きをどうぞ(笑)。

畔上 老い先短いので、新しいことをやりたかったってことですね。私が編集長だった時はすごくラッキーで、AIの第三次ブームが起こったり、IoTが出てきたり、新しいテクノロジーが盛り上がったタイミングでした。

 AIを取材したら私には全く手に負えない世界だったんだけど、量子コンピューターが出てきて、手が届く感じがしたんですよ。
 
第10代編集長/GMOシステムコンサルティング 量子計算コンサルタント
畔上文昭

本多 SEだったキャリアを持つ畔上さんならではという感じですが、それは量子コンピューターに関わっている人が少なかったからってことですか?

畔上 少ないというより、天才ばかりがやっている世界だったからですよ。みんなのビジネスにどう生かすかというレベルで量子コンピューターのことを考えている人がいなかったので、学術系とビジネスの間を埋める役割、そこのレイヤーが必要だなと思って飛び込んで、今に至っています。

本多 量子計算コンサルタントとしての仕事って、どれくらいあるんですか?

畔上 量子コンピューター自体は週刊BCNでも特集してもらっているとおり、なかなかビジネスで活用するのは難しいのが現状です。多分、私が現役バリバリでできる間は難しい。だけど道筋くらいはつけられないかなと思って取り組んでいます。

 ということで、量子計算コンサルタントの仕事だけというわけにもいかないので、BCN時代に培った人脈やノウハウを生かして、マーケティングの世界にも身を置いています。

本多 じゃあ、次は木村さん、お願いします。

木村 自分は「NewsPicks」というソーシャル経済メディアを運営・開発しているニューズピックスで、広告制作部門にいます。部署名としてはブランドデザインって名乗っているんですけど、そこでHead of Creativeという肩書で仕事してます。いま、広告制作メンバーは17人かな。そこでマネジメントをやっています。
 
第9代編集長/ニューズピックス ブランドデザイン Head of Creative
木村剛士

本多 ブランドデザインの仕事はブランディングのための記事広告制作ってことですよね。

木村 そう、タイアップ広告ですよ、基本は。あとはBCNもやってるけど、イベントをやったり、映像に力を入れているので、映像部門と連携して番組をつくったり、プロモーションビデオつくったりとかをしています。

本多 いろんなメディアで、タイアップのコンテンツもクオリティを重視する傾向が強まっている気がします。一般紙でも報道部門の記者が記事広告の制作部隊にかなり異動しているなんていう話も聞きますし。

木村 うちもあるよ。NewsPicksは読者のコメントが出ちゃうから、編集部の記事であろうと記事広告であろうと、キュレーションした他社の記事であろうと、クオリティが低いと容赦なく叩かれるんですよ。記事広告のクライアントにしてみると、最悪なのはお金を出したのに叩かれるというケース。だから妥協できないっていうのはある。あと、そういう仕組みだから単にクライアントの要望を聞いてつくるだけというのとも違うのはポイントかな。

本多 こっちの言うこと聞いたほうが費用対効果の高いコンテンツになりますよ、みたいな。

木村 そうそう(笑)。コメントでどんな反応が返ってくるのかも踏まえて主体的な提案ができるから、コンテンツをつくる側もやりやすいところはあります。

本多 大河原さん、お待たせしました。大河原さんには週刊BCNでも健筆を振るっていただいていますが、特定の媒体をメインフィールドにしているというわけでもないですよね。

大河原 そうですね。IT系の媒体にはだいたい書いているかな。一般紙やビジネス紙にも連載があったり、ちょくちょく書いていますね。

 そういえば、フリーになったのがちょうど2001年の10月なんだよね。つまり、今日で20年目。
 
第5代編集長/フリーランスジャーナリスト
大河原克行

一同 おお、すごい! おめでとうございます。

大河原 ただ、その間、出世もせず、肩書も変わらずという感じですね。

本多 いやいや、もう大河原ブランドが早期に確立されていたということじゃないかと思いますが。ちなみに大河原さんはフリーになった当初から今のように仕事が潤沢だったんですか?

大河原 実を言うとね、BCNにいた最後の半年くらいは、フリーの仕事も並行してやっていた感じだったかな。奥田(喜久男、BCN創業者・会長兼社長)さんもいいよって言ってくれて、完全フリーになるまでの助走期間みたいなものができたんですよ。そこで連載が何本も始まって。

 フリーランスになってかなり初期の仕事だったんだけど、宝島社の『週刊ウルトラONE』で編集者として僕を担当したのが木村さんで。畔上さんがIDGジャパンの編集者時代も何か書いていたような……。

畔上 いや、大河原さんと私が初めて直接会ったのは、『月刊ITセレクト』(中央公論新社発行)をやっていた時ですね。私が創刊編集長だったんですけど、よく大河原さんに怒られていたのが私です。「なってねえんだよ畔上は」って言われて。育てていただきました。

本多 多分後半は嘘だと思うんですけど、どこまでが本当の話なのか分からない……。

全員が取材経験のある唯一のKey Personは
大塚商会・大塚裕司社長

本多 次の話題にいきましょう。BCN在籍時、皆さんそれぞれ当時の業界を代表するキーパーソンに取材してきたと思うんですが、特に印象に残っている取材相手ってどなたですか?
 
モデレーター
週刊BCN編集長 本多和幸

木村 これは大河原さんの聞いてみたい。

大河原 僕がBCNにいたころはパソコンを追っていた時期で、Windowsが出始めたタイミングですよね。NECの「PC-9800」シリーズが6割くらいのシェアを取っていたのが、どんどん減っていって、50%を切るようになったあたりから業界内が大騒ぎになって、という時期で。

 高山由(NECの元専務取締役で「ミスター98」と呼ばれた)さんに何度も取材をして、NECはPC事業をどうするんだという話をするんだけど、行くと最初の30分くらいは取材にならなくて、業界のいろいろな裏話とかメディアの批判とかで終わるんだよね。残りの30分で取材してみたいな感じで。

 NECが6割のシェアを持っていた時に、98包囲網というのができて、DOS/Vが出てきたりしたんですけど、高山さんが面白かったのは、「シェア6割のNECを残りの4割でどう包囲するんだ」って言ったんですよ。それが非常に印象に残っていますね。

本多 でもその後、包囲されちゃったわけですよね。

大河原 包囲されちゃいましたね。あとは特定の取材相手ということではないけど、「Windows 95」の日本語版発売の夜とか、編集部みんなで量販店に張り付いて取材したのは記憶に残っていますね。

木村 そういう時代だったっていう情景が浮かぶ話ですね。個人的には、週刊BCNの若手人材インタビューコーナー「Face」の取材が好きだったな。本多さんが潰しちゃったけど(18年の紙面リニューアル時に一旦休止に)。ライブドアがまだ有限会社オン・ザ・エッジだった頃の堀江貴文さんが最初のインタビュイーだったっていう歴史もいいよね。

本多 (休止については)まあ、いろいろ当時の状況もありまして。Faceで木村さんが取材した中で印象深い人ってどなたですか?

木村 これはいま時の人って言っていいと思うけど、登大遊(NTT東日本ビジネス開発本部特殊局員、筑波大学産学連携准教授、ソフトイーサ代表取締役、IPA産業サイバーセキュリティセンターサイバー技術研究室室長)さん。当時19歳かな。IPAのスーパークリエータ認定を受けた時に出てもらったんだよね。

本多 インタビューはどんな雰囲気だったんですか。

木村 ずーっとパソコン開いてモニターみながら、こっちの話聞いて受け答えしてた(笑)。登君なにやってんのって聞いたら、「研究所に猫がいるんですけど、その猫をネットワーク監視カメラで監視できるようになったんです。すごいでしょ」って言ったんです。

本多 天才プログラマーっぽいエピソード。

木村 あと、すごい迫力あるなと思ったのは、ソニーの出井伸之(元社長)さん。リコーの桜井正光(元社長、経済同友会代表幹事も務める)さん、富士通の山本正巳(元社長)さんも思い出深い社長ですね。

畔上 私は何といっても大塚商会の社長、大塚裕司さんですね。取材の場に現れて、ドアを半分開けて顔だけ出して「話すことないから」って一旦ドアを閉めちゃうという茶目っ気、大好きでした。いろいろな趣味もあって話題も豊富ですけど、インタビューでは簡単にこっちの思い通りに話を引き出せるわけじゃなくて、それがまた楽しかったですね。インタビュアーの力量がシビアに問われる方でした。
 
創刊40周年記念号の1895号では
BCN取締役の奥田芳恵が大塚商会・大塚裕司社長にインタビュー

本多 それはよく分かります。

木村 確かに、大塚さんの取材には独特の緊張感があった。そういえば、大河原さん以降の編集長が全員インタビューしたことがある人って、大塚さんだけじゃない?

大河原 そうかもね。

木村 これいい見出しができたね。で、本多さんはどうなの?

本多 業界の人という枠組みじゃないんですけど、BCNに入社して間もない頃に取材した平井卓也(初代デジタル大臣)さんですかね。13年秋のインタビューでしたが、エストニアのオンライン投票とか、デンマークとスウェーデンの「メディコンバレー」とか、想像していたよりもかなり詳細に社会インフラへのIT活用先進事例を勉強されて、政策立案につなげているんだなと思った記憶があります。その後、今年のデジタル庁発足に至るまで存在感をどんどん高められてきたのは、やはり蓄積があってこそということでしょうか。